
新歴史観ブックス
10月19日読了時間: 1分
10月19日は何があった日?
1859年(安政6年9月24日) の今日、幕末期を代表する儒学者・佐藤一斎が死去しました。88歳。昌平黌の総長として官学の総帥的な立場にあった一斎の元からは渡辺崋山、佐久間象山、横井小楠など幕末に活躍した多くの知識人が輩出されました。

1859年(安政6年9月24日) の今日、幕末期を代表する儒学者・佐藤一斎が死去しました。88歳。昌平黌の総長として官学の総帥的な立場にあった一斎の元からは渡辺崋山、佐久間象山、横井小楠など幕末に活躍した多くの知識人が輩出されました。

1859年の今日、アメリカ長老派教会の伝道宣教師ジェームス・カーティス・ヘボンが幕末の横浜に到着しました。 ヘボンは横浜近代医療の基礎を築いた人物であると共に初の和英辞典『和英語林集成』を編纂。さらに明治学院を創設し初代総理に就任しました。

1716年(享保元年8月23日)の今日、八代将軍・徳川吉宗の治世下、江戸幕府の役職として『御庭番』が新設されました。その前身は吉宗が紀州藩の藩主時代に「薬込役」と呼ばれた者たち。表向きの役目は藩主の護衛でしたが実際は情報収集をして藩主に報告する役目だったそうな。

1807年(文化4年8月19日)の今日、深川富岡八幡宮の祭礼に大勢の群衆が詰め掛けたことで隅田川にかかる永代橋が重みに耐えられず崩落。1,400名もの死者と行方不明者が出ました。狂歌師の大田南畝が一句「永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」

1833年(天保4年6月26日)の今日、幕末の長州藩士であり後に「明治の元勲」とされた木戸孝允が生まれました。 長州藩の藩医和田家に生まれ、7歳で桂家の養子になりました。幕末期は「桂小五郎」という名で活躍。薩摩藩の大久保、西郷と共に「維新の三傑」と呼ばれています。

1864年(元治元年7月7日)の今日、江戸幕府軍と天狗党が戦闘状態に入りました。 天狗党は水戸藩内外の尊王攘夷派の集団。戦争は幕府側が勝利し天狗党の主だった者は処刑されました。処刑人は彦根藩が志願。桜田門外の変で殺された主君・井伊直弼の無念を晴らしたそうな。

1867年(慶応3年6月22日) の今日、薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通、土佐藩の坂本龍馬と中岡慎太郎(画像)らが『薩土盟約』を締結しました。 平和的に幕府から政権移行を目指す土佐藩と、それに同調した薩摩藩との盟約でしたが結局、実行に移されることなく解消されました。

1610年(慶長15年6月3日) の今日、加藤清正が名古屋城天守周辺を普請しました。羽柴秀吉に従い武功を挙げた清正ですが、藤堂高虎や黒田孝高と並ぶ築城の名手としても知られ、名古屋城のほか熊本城、名護屋城、蔚山倭城、江戸城など数々の城の築城に携わりました。

1846年(弘化3年閏5月27日)の今日、アメリカの東インド艦隊司令長官ジェームズ・ビドル(画像)率いる二隻の戦艦が浦賀に来航。米国への敵愾心を抱かれることのないよう命じられていたビルドは交渉に失敗。7年後、黒船を率いて再来航したペリーはビドルの失敗から強固な姿勢で交渉しました。

1611年(慶長16年6月4日)の今日、 戦国武将の真田昌幸が死去しました。「表裏比興の者」と呼ばれ国人衆から戦国大名にまで上り詰めた昌幸でしたが、関ヶ原の戦いで敗者になって以後10年余り続いた流人生活によって晩年はすっかり気が萎えてしまったようです。

1636年(寛永13年5月24日)の今日、初代仙台藩主・伊達政宗が死去しました。享年70。死因は食道噴門癌による癌性腹膜炎。三日前、将軍の徳川家光は伊達家上屋敷に赴き政宗を見舞いました。政宗の死により江戸では7日間、京都では3日間、魚鳥を捕まえることと音曲が禁止に。

1796年(寛政8年5月4日)の今日、日本三大遊廓の一つ伊勢古市の妓楼油屋で逆上した客が9人に刀で斬りつけ、そのうち3人が死亡する事件が起きました。この『油屋騒動』を題材にしてわずか十日後に松坂の芝居で『伊勢土産菖蒲刀』が上演され大評判に。

1868年(慶応4年閏4月6日)の今日、 幕末期の江戸幕府の重臣だった小栗忠順が取り調べもされぬまま官軍によって斬首されました。享年42。 西郷隆盛 は小栗のことを「偉大なる権謀家」と称し、大隈重信は「明治政府の近代化政策は小栗の模倣にすぎない」と語ったそうな。

1615年(慶長20年4月28日) の今日、『大坂夏の陣』が開戦しました。徳川方の戦力は約15万5千。一方、約7万8千の豊臣方は大坂城での籠城戦では勝つ見込みが無いと判断し総大将の首を討つチャンスのある野戦に持ち込むことが決定しました。

1763年(宝暦13年4月10日) の今日、曹洞宗の僧・禅海が現在の大分県にある耶馬渓に30年以上かけて手掘りした『青の洞門』が開通しました。歌川広重の『六十余州名所図会』には豊前国の名所として描かれています。

1867年の今日、パリ万国博覧会が開幕しました。4月1日から10月31日までフランスの首都パリで開催。42か国が参加し、会期中1500万人が来場しました。初めての参加となる日本からは江戸幕府とは別に薩摩藩と佐賀藩がそれぞれ出展しました。

1862年(文久2年2月11日) の今日、江戸幕府第14代将軍・徳川家茂と和宮親子内親王(画像)の婚儀が執り行われました。天皇自らの説得により将軍との結婚を渋々承諾した和宮ですが、家茂は和宮を生涯の伴侶とし夫婦仲は極めて良好だったそうな。

1866年(慶応2年1月23日)の今日、 京都の寺田屋に宿泊していた坂本龍馬と龍馬の護衛役だった長府藩士の三吉慎蔵が伏見奉行の襲撃を受けました。 龍馬は高杉晋作からもらった拳銃で、三吉は手槍を用いて防戦。捕り方2名を射殺、数名を殺傷。龍馬は手の親指を負傷しました。

1657年(明暦3年1月23日)の今日、 朱子学派儒学者で徳川家康のブレーンの一人・林羅山が死去しました。享年75。明暦の大火が起こり、林羅山は読みかけの本一冊を持って逃げたそうですが、邸宅と書庫が焼失。大量の書籍を失ったショックが直接の死因だったとか。

1798年(寛政9年1月17日) の今日、湯島聖堂が「昌平坂学問所」と改称され幕府の直轄になりました。「昌平」というのは孔子が生まれた村の名前で昌平坂学問所は孔子の諸説、儒学を教える学校です。