
新歴史観ブックス
2025年1月31日読了時間: 1分
1月31日は何があった日?
1957年(昭和32年)の今日、前年末に首相に就任したばかりの石橋湛山が脳梗塞で倒れ副総理格の外務大臣である岸信介が臨時首相大臣に就任しました。 2か月の絶対安静が必要と診断を受けた石橋は在任期間65日ながら退陣を決意。その潔さに野党からも称賛の声が上がりました。...

1957年(昭和32年)の今日、前年末に首相に就任したばかりの石橋湛山が脳梗塞で倒れ副総理格の外務大臣である岸信介が臨時首相大臣に就任しました。 2か月の絶対安静が必要と診断を受けた石橋は在任期間65日ながら退陣を決意。その潔さに野党からも称賛の声が上がりました。...

1902年(明治35年)の今日、大英帝国と大日本帝国の間で『日英同盟』が締結されました。ドイツ帝国とロシア帝国のアジア進出に対抗した同盟は日本が欧米と肩を並べるほどの大国になるうえで大きな原動力になりました。

2014年(平成26年)の今日、日本の理化学研究所など日米共同研究チームがSTAP細胞に関する論文を発表しました。論文発表直後から様々な疑義や不正が指摘され同年7月にネイチャーの2本の論文を撤回。さらに「STAP現象の確認に至らなかった」と報告し実験を打ち切りました。

1993年(平成5年)の今日、米ハワイ出身で東関部屋に所属していた力士の曙太郎が大相撲1月場所で優勝。外国人力士初の横綱昇進が決まりました。第64代横綱。 身長204cm。体重233kg。曙は当時大人気だった若貴兄弟の前に立ちはだかり武蔵丸共々大相撲を大いに盛り上げました。

1985年(昭和60年)の今日、大阪府吹田市で一和会系組員が山口組組長・竹中正久ら最高幹部3人を射殺しました。 事件後、山口組と一和会の間で317件の抗争事件が発生。双方合わせて死者29人、負傷者66人、警察官や市民に負傷者4人を出す史上最悪の暴力団抗争に発展しました。

1858年(安政4年12月11日)の今日、陸奥盛岡藩の大島高任が釜石で日本初の近代的な商用高炉を建設しました。 大島は明治政府においても技術者として高く評価され鉱業界の第一人者として明治23年には日本鉱業会の初代会長に就任。「日本近代製鉄の父」と呼ばれました。

1971年(昭和46年)の今日、「ザ・タイガース」が日本武道館において開催コンサートを開催しました。 ジュリーこと沢田研二やサリーこと岸辺修三(一徳)をメンバーに一世を風靡したザ・タイガースの解散はグループサウンズブームの終わりを象徴する出来事に。 ◇口冊司作品はこちら>>...

1719年の今日、神聖ローマ皇帝カール6世がハプスブルク家の重臣である大貴族リヒテンシュタイン家の領地の一部(スイスとオーストリアに囲まれた地域)を『リヒテンシュタイン公領』とすることを認めました。神聖ローマ帝国解体後も独立国家として現在まで存続しています。

1937年(昭和12年)の今日、 衆議院本会議において衆議院議員の浜田国松が寺内寿一陸軍大臣に対して軍部の政治への干渉について厳しく批判しました。腹切り問答。 浜田国松は最後まで自由主義、反ファッショの姿勢を貫き、勢力を増す軍部に政党政治家の気骨を見せつけました。...

1899年(明治32年)の今日、勝海舟が脳溢血により逝去しました。享年75。 赤坂氷川の地で過ごした晩年の海舟は政府から依頼されて多くの著述や編纂に当たりながら旧幕臣たちによる「徳川氏実録」の編纂計画に対しては阻止工作をしたとか。最期の言葉は「コレデオシマイ」。...

1946年(昭和21年)の今日、アメリカの記者5名とGHQ将校が名古屋の雑貨商の熊沢寛道に取材。熊沢は「自分は南朝方の子孫だ」と名乗りました。 戦後、GHQ体制になり日本警察の取締りが弱くなったことで皇位継承者を自称する者たちが各地に出現しました。

1395年(応永元年12月17日)の今日、朝廷より足利義持に将軍宣下。父の義満(画像)は大御所として実権を握り続けました。 邸宅を北小路室町へ移したことで義満は「室町殿」と呼ばれ、以後その呼び名が足利将軍家当主の呼称に。「室町幕府」や「室町時代」の由来にも。

1903年(明治36年)の今日、浄土真宗本願寺派法主であり探検家でもある大谷光瑞率いる探検隊がインドのビハール州で釈迦の住んでいたとされる『霊鷲山』を発見しました。 数年後、インド考古局第3代目の長官ジョン・マーシャルの調査によって国際的に承認されました。

1865年(元治元年12月15日)の今日、長州藩士の高杉晋作ら諸隊が俗論派打倒のために功山寺でクーデターを起こしました。功山寺挙兵。 クーデターを成功させた晋作は逃亡していた桂小五郎を旗頭として藩に呼び戻し、長州藩を再び討幕を主導する藩へと建て直しました。...

1367年(貞治6年12月7日)の今日、室町幕府第2代征夷大将軍・足利義詮が死去。享年38。足利尊氏の息子で足利義満の父親であり初代鎌倉公方の足利基氏の兄。太平記では口車に乗りやすく酒色に溺れた愚鈍な人物として描かれていますが、内政や軍略で功績を残しています。

1923年(大正12年)の今日、皇太子摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が乗る自動車を無政府主義者の難波大助が狙撃しました。 銃弾は車の窓ガラスを破り同乗していた東宮侍従長が軽傷を負いました。この事件で第2次山本内閣は引責により総辞職。難波は翌年死刑に処されました。...

1634年(寛永11年11月7日)の今日、亡き藩主の遺言を果たす為、渡辺数馬と荒木又右衛門が仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討ち取りました。 「鍵屋の辻の決闘」または「伊賀越の仇討ち」と呼ばれ、日本三大仇討ちの一つに数えられています。

1926年(大正15年/昭和元年)の今日、大正天皇(画像)が崩御したことで裕仁親王が皇位を継承しました。 大正天皇は生まれた時から体が弱く天皇に即位した翌年からは公務のみならず日常生活にも支障を来たすように。1921年には裕仁親王が摂政に就任し、公務を代行しました。

1629年(寛永6年11月8日)の今日、後水尾天皇が第二皇女でまだ5歳だった興子内親王に譲位しました。称徳天皇以来859年ぶりの女性天皇・明正天皇が誕生。 但し、明正天皇の在位中は後水尾上皇による院政が敷かれ、朝廷における実権を持つことはなかったとされています。

1976年(昭和51年)の今日、 第126回全国自治宝くじで高額の当せん金を多数設定した特別くじが販売されました。初の『ジャンボ宝くじ』。 全国の売場に群集が殺到。2名が死亡し40名以上が負傷したことで翌年から95年まで発売は往復はがきによる事前予約制に変更されました。