
新歴史観ブックス
2023年12月15日読了時間: 1分
12月15日は何があった日?
1872年(明治5年11月15日)の今日、神武天皇即位紀元(皇紀)が制定されました。日本書紀を根拠として皇紀元年を西暦に換算すると紀元前660年。零式艦上戦闘機(通称・零戦)が制式採用された1940年は皇紀2600年にあたり、下2桁「00」から『零式』に命名されました。

1872年(明治5年11月15日)の今日、神武天皇即位紀元(皇紀)が制定されました。日本書紀を根拠として皇紀元年を西暦に換算すると紀元前660年。零式艦上戦闘機(通称・零戦)が制式採用された1940年は皇紀2600年にあたり、下2桁「00」から『零式』に命名されました。

1888年(明治21年)の今日、 愛媛県から香川県が分割したことで現在の日本の都道府県の領域が確定しました。1871年(明治4年)廃藩置県で1使3府302県から始まり、早速、同年12月に一度目の整理合併が行われ1使3府72県(画像)になりました。

1888年の今日、日本とメキシコの間で『日墨修好通商条約』が締結されました。日本にとって初めての対等な国際条約で、メキシコにとってもアジアの国と初めて締結した条約でした。日本側の担当者は当時、米ワシントンに駐在していた陸奥宗光。

1889年(明治22年)の今日、劇作家の福地源一郎(画像)と金融業者の千葉勝五郎が東京・木挽町(現在の東銀座)に『歌舞伎座』を開場しました。それまでの劇場をはるかにしのぐ近代劇場。これに危機感を抱いた新富座、中村座、市村座、千歳座は「四座同盟」を結成しました。

1868年(明治元年9月22日)の今日、戊辰戦争下、薩摩藩と土佐藩を中心とする明治新政府軍に対して会津藩が降伏しました。会津藩は戦争資金を得る為に蝦夷地(北海道)をプロイセン王国(現ドイツ)に売却しようとしていましたが降伏したことで売却の話は反故に。

1882年(明治15年)の今日、田鎖式速記の考案者である田鎖綱紀が東京日本橋で日本で初めての速記講習会を開催しました。田鎖は日本速記術の創始者で伊藤博文から『電筆将軍』と呼ばれた人物。日本速記協会は第1回講習会が開かれたこの日を「速記の日」と定めています。

1873年(明治6年)の今日、 西郷隆盛や板垣退助などの「征韓論派」が大久保利通や岩倉具視らとの論争に敗れ、朝鮮半島への使節団派遣の中止が決定しました。明治六年政変。 西郷をはじめとする大半の参議が辞職した他、およそ六百人もの軍人や官僚が職を辞しました。

1887年(明治)の今日、仏教哲学者で教育者の井上円了が本郷区龍岡町の麟祥院内に哲学館を開設しました。哲学館は後に『哲学館大学」を経て現在の『東洋大学」になります。

1886年(明治19年)の今日、大審院長の玉乃 世履(たまの よふみ)が自殺しました。鳥羽・伏見の戦いでは「日新隊」を組織して戦い、維新後は裁判官として公正な裁きを行ったことで「明治の大岡」と賞賛され初代大審院長に就任しました。自殺の理由はわかっていません。

1898年(明治31年)の今日、豊田佐吉が動力織機『豊田式木鉄混製力織機』の特許を取得しました。18歳の頃、発明家になることを志した佐吉は手近な手機織機の改良から始め、生涯で発明特許84件、外国特許13件、実用新案35件を取得。現在のトヨタグループを創始しました。

1894年(明治27年)の今日、日清戦争に従軍したラッパ手・木口小平が戦死しました。死んでも口からラッパを離さなかったということが話題になり英雄に。しかし軍部が誤り別の兵士の名前を発表したことで別人の名前が教科書に載り、記念碑(画像)まで建てられることに。...

1906年(明治39年)の今日、日露戦争で活躍した軍人・児玉源太郎が就寝中に脳溢血で急逝しました。享年55。若くして将来を期待され、当時24歳だった時に赴任先で士族の反乱が起きた際、政府から現地へ真っ先に送られた電報は「児玉少佐ハ無事ナリヤ(児玉は無事か?)」。

1887年(明治20年)の今日、二葉亭四迷(画像)の長篇小説『浮雲』の第一篇が刊行されました。同作は日本で初めて日常に用いられる話し言葉に近い口語体による『言文一致体』の小説。四迷は執筆にあたり当時人気だった落語家の初代三遊亭圓朝の落語を参考にしたそうです。

1882年(明治15年)の今日、前年に『柔道』を創始した嘉納治五郎が東京下谷稲荷の永昌寺に柔道場を開きました。日本においてスポーツを推進しオリンピック初参加にも尽力した彼は「柔道の父」または「日本の体育の父」とも呼ばれています。

1874年(明治7年)の今日、明治政府の陸軍中将・西郷従道の指揮の下、征討軍約3,000名が台湾の制圧を開始しました。台湾に漂着した宮古島の島民54人が台湾の先住民に殺害される事件が発生し明治政府は犯罪捜査を名目に出兵しました。明治維新後、初の海外派兵。

1891年(明治24年)の今日、薩摩藩出身の政治家である松方正義が第4代内閣総理大臣に就任。 薩長元勲の中で唯一幕末の志士としての活動歴が無く維新後の功労で元老、公爵にまで出世した人物。大蔵大臣を長期間務め日本銀行の設立や金本位制の確立などの業績を残しました。 ◇口冊司作品はこち

1871年(明治4年3月1日)の今日、東京、京都、大阪に郵便役所が設置されました。太政官に郵便制度の創設を建議したのは駅逓司(後の逓信省)となった「日本近代郵便の父」こと前島密(画像)。彼の造った「郵便」「切手」「葉書」という通称は今も使われています。

1877年(明治10年)の今日、札幌農学校(北海道大学)の初代教頭ウィリアム・スミス・クラークが「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」という言葉を残し学校を去りました。帰国後クラークは会社を設立するも破産し、裁判沙汰となり、心臓病となって59歳の若さで死去

1895年(明治28年)の今日、京都で平安遷都1100年を記念し遷都を行った第50代桓武天皇を祀る神社として平安神宮が創建されました。1976年に起きた火災で本殿や内拝殿が焼失した時には全国からの募金で再建されました。

1873年(明治6年)の今日、明治政府が国際結婚に関する法律『内外人婚姻規則』を公布しました。実際には公布前から国際結婚は多く行われていたようですが、イギリスに留学中だった長州藩士・南貞助とイギリス人女性ElizaPittmanの結婚が政府公認の最初の国際結婚だとか。

