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2月25日は何があった日?

927年の今日、藤原忠平が延喜式を天皇に奏上しました。延喜式とは平安中期に定められた法律を詳細にまとめたもの(格式)であり、三大格式の中で唯一現存しています。儀式の進め方や朝廷の官吏の構成、そして税として納めるべき各地の特産物などの規程が細かく記載されており、現在、古代史研究の重

2月23日は何があった日?

990年の今日、藤原道隆の娘・定子が中宮として入内。当時、律令が定める三后に空席は無かったため道隆は皇后の別称である「中宮」を皇后から分離させることで皇后枠を作ります。彼の死後この手を使って娘・彰子を朝廷に入れ、定子の立場を奪わせたのが彼の実弟・藤原道長です。ちなみに、定子に仕え

2月16日は何があった日?

901年の今日、菅原道真が九州の太宰府へと出発しました。忠臣として名高く博識の道真は右大臣にまで昇進。しかし左大臣である藤原時平との確執、また、宇多上皇とは醍醐天皇の覇権争いに巻き込まれたことで太宰府に左遷された彼は京に戻ることなく九州で没しました。死後、彼が怨霊となって祟ってい

2月10日は何があった日?

1118年の今日、平清盛が誕生しました。伊勢平氏の棟梁・平忠盛(画像)の長男として生まれた清盛の生母は白河天皇に仕えた宮女であり、忠盛の妻になった時点で天皇の子である彼を身篭っていたという説もあります。しかし忠盛は伊勢平氏の棟梁とすべく清盛を育てました。奇しくも1153年の今日、

12月9日は何があった日?

887年(仁和3年)の今日、藤原基経が史上初の関白に就きました。藤原北家。四代の天皇に仕えて朝廷の実権を握った基経は摂政、太政大臣などの重職を経て関白に任じられ、とうとう天皇から大成を委任する詔が発せられました。後に藤原北家は藤原道長を輩出します。

11月18日は何があった日?

794年(延暦13年)の今日、桓武天皇が長岡京から平安京に遷都しました。およそ十年間、王都とされた長岡京は早良親王の死の直後から疫病、飢饉、災害に見舞われ、桓武天皇(画像)は遷都を決断。現在の京都市街。当時の街路は千二百年以上経った今もほぼそのままであると言われています。

9月14日は何があった日?

770年(宝亀元年)の今日、弓削道鏡が左遷されました。女帝である孝謙上皇(称徳天皇)から寵愛された彼は太政大臣禅師に任ぜられ翌年には法王に。。女帝はさらに彼を天皇にしようとしましたが、それは他の家臣たちの努力により瀬戸際で阻止されました。惚れられた道教本人に野心は無かったとの説が

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