
新歴史観ブックス
10月4日読了時間: 1分
10月4日は何があった日?
1889年(明治22年)の今日、 日本大学の前身である『日本法律学校』が創立されました。 初代司法大臣・山田顕義は大日本帝国憲法の施行に向けて法典研究と教育が急務であると考え、同時期に東京帝国大学教授・宮崎道三郎を中心に法律学校の設立の計画が進められていました。

1889年(明治22年)の今日、 日本大学の前身である『日本法律学校』が創立されました。 初代司法大臣・山田顕義は大日本帝国憲法の施行に向けて法典研究と教育が急務であると考え、同時期に東京帝国大学教授・宮崎道三郎を中心に法律学校の設立の計画が進められていました。

1822年の今日、フランスの古代エジプト学の研究者ジャン=フランソワ・シャンポリオンがロゼッタ・ストーンの解読に成功したことを発表しました。 二十歳までに十を超える言語を習得。「古代エジプト学の父」と呼ばれるシャンポリオンは41歳の若さで亡くなりました。

1797年の今日、イギリスの社会思想家で作家のメアリ・ウルストンクラフトが死去しました。フェミニズムの先駆者として著書『女性の権利の擁護』をはじめ男女の同権、教育の機会均等等を提唱しました。娘は小説『フランケンシュタイン』を書いたメアリ・シェリー 。

1895年(明治28年)の今日、気象学者の野中到が富士山頂に私費で測候所を開設しました。妻・千代子と共に富士山頂での越冬観測に挑戦するも断念。本格的な観測所の建設を目指し富士観象会を設立した後も観測を続けた野中の事業は後に中央気象台に引き継がれることに。

1687年の今日、イングランドの科学者アイザック・ニュートン(画像)がニュートン力学体系の解説書である『自然哲学の数学的諸原理』が刊行されました。 近代科学における最も重要な著作の1つとなった本書の刊行を勧めたのはハレー彗星の軌道計算で有名なエドモンド・ハレー。

1877年の今日、アメリカの動物学者で東京帝国大学のお雇い教授エドワード・S・モースが汽車で横浜から東京へ向かう途中、大森付近で貝塚を発見。大森貝塚で日本初の学術的発掘調査が行われました。モースは日本の人類学・考古学の基礎をつくった人物です。

1870年(明治2年)の今日、アメリカ・オランダ改革派教会宣教師のメアリー・E・キダー(画像)が横浜の宗興寺に開かれていたヘボン塾の女子生徒を受け継ぐ形で私塾「フェリス・セミナリー(フェリス英和女学校)」を開校しました。塾は後のフェリス女学院へと発展します。

1555年の今日、フランスの占星術師ノストラダムスの詩句・散文が収められた『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版が刊行されました。 フランス王シャルル9世から「常任侍医兼顧問」に任命されたノストラダムス(画像)ですが、その2年後に62歳で没しました。

2014年(平成26年)の今日、日本の理化学研究所など日米共同研究チームがSTAP細胞に関する論文を発表しました。論文発表直後から様々な疑義や不正が指摘され同年7月にネイチャーの2本の論文を撤回。さらに「STAP現象の確認に至らなかった」と報告し実験を打ち切りました。

1754年の今日、イギリスの政治家にして小説家であるホレス・ウォルポール(画像)が友人宛ての手紙の中で初めて「serendipity(セレンディピティ)」という造語を使いました。語源はウォルポールが子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子』から来ているそうな。

1939年の今日、チェコスロバキアに侵攻したナチスドイツ軍が学生のデモ行進を鎮圧。プラハ大学の教授2人と学生9人を殺害したうえ1,200人以上の学生を強制収容所に送りました。この日は『国際学生の日』とされ現在、学生コミュニティの国際デーになっています。

1822年の今日、フランスの古代エジプト学の研究者ジャン=フランソワ・シャンポリオンが『ロゼッタ・ストーン』の解読に成功したことを発表しました。 「古代エジプト学の父」と讃えられるシャンポリオンですが、発表から十年後、コレラに罹り41歳の若さで死去しました。

1737年 の今日、ハノーファー選帝侯ゲオルク・アウグストがゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンを創設。 数学において世界の研究の中心としての役割を果たし第二次世界大戦では英独の間でケンブリッジとゲッティンゲンを互いに爆撃しないという紳士協定が結ばれました。

1900年(明治33年)の今日、津田梅子が東京市麹町に津田塾大学の前身となる『女子英学塾』を創立しました。 新五千円の「顔」になった津田梅子は日本の女子教育の先駆者であり欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性です。 ◇口冊司作品はこちら>>...

1843年(天保14年8月20日) の今日、蘭学者の佐藤泰然(画像)が現在の千葉県佐倉に病院兼蘭医学塾「順天堂」を創立しました。 外科手術は当時の最高水準を極め、大阪の緒方洪庵の適塾とならぶ有名蘭学塾になった順天堂は後の順天堂大学へと発展していきます。...

1900年(明治33年)の今日、京都法政学校(後の立命館大学)の設立が認可されました。 文部大臣だった西園寺公望が創設した私塾立命館が起源。秘書官だった中川小十郎が西園寺の意志を引き継ぎ創立しました。開学の1年間は料亭「清輝楼」を間借りして講義が行われたそうです。

1690年(元禄3年)の今日、 湯島聖堂が完成しました。江戸幕府専属の学者である林羅山が私邸(現在の上野恩賜公園)内に孔子廟を造営。当時の将軍・徳川綱吉が「大成殿」と改称して自ら額の字を揮毫しました。ここで開かれた林家の私塾が後に幕府直轄の「昌平坂学問所」に。

1912年の今日、ドイツの気象学者アルフレート・ヴェーゲナー(画像)がドイツ地質学会で初めて『大陸移動説』を発表しました。この2年前、世界地図を見た彼は南大西洋を挟んで南アメリカ大陸の東海岸線とアフリカ大陸の西海岸線がよく似ていることに気付きました。

1931年の今日、下中弥三郎が創業した平凡社が「大百科事典」を刊行しました。 下中弥三郎(画像)は戦後、湯川秀樹や平塚らいてうなど7人の有識者と共に『世界平和アピール七人委員会』を結成しました。

1882年(明治15年)の今日、田鎖式速記の考案者である田鎖綱紀が東京日本橋で日本で初めての速記講習会を開催しました。田鎖は日本速記術の創始者で伊藤博文から『電筆将軍』と呼ばれた人物。日本速記協会は第1回講習会が開かれたこの日を「速記の日」と定めています。

