
新歴史観ブックス
2024年2月9日読了時間: 1分
2月9日は何があった日?
1588年(天正16年1月13日) の今日、室町幕府最後の将軍である足利義昭が将軍職を朝廷に返上しました。織田信長により京都から追放された後、義昭は流浪の旅を経て毛利家の領地である鞆に亡命幕府を樹立。京都への帰還と政権の奪還に尽力しました。

1588年(天正16年1月13日) の今日、室町幕府最後の将軍である足利義昭が将軍職を朝廷に返上しました。織田信長により京都から追放された後、義昭は流浪の旅を経て毛利家の領地である鞆に亡命幕府を樹立。京都への帰還と政権の奪還に尽力しました。

1911年の今日、 外蒙古として清朝の属州だったモンゴルが清からの独立を宣言しました。 同日、大モンゴル国の皇帝に即位したボグド・ハーンはモンゴル最高の活仏『ジェプツンダンバ・ホトクト』ですが、モンゴル出身者ではなくチベット出身者。

1888年の今日、日本とメキシコの間で『日墨修好通商条約』が締結されました。日本にとって初めての対等な国際条約で、メキシコにとってもアジアの国と初めて締結した条約でした。日本側の担当者は当時、米ワシントンに駐在していた陸奥宗光。

1947年の今日、国連総会で『パレスチナ分割決議』が可決しました。パレスチナをイギリスの統治から解放しアラブ人とユダヤ人による分割支配。イスラム教徒とキリスト教徒にとっての聖地エルサレムは特別都市。しかし決議が採択されるとすぐに両民族の内戦が勃発しました。

1868年(明治元年9月22日)の今日、戊辰戦争下、薩摩藩と土佐藩を中心とする明治新政府軍に対して会津藩が降伏しました。会津藩は戦争資金を得る為に蝦夷地(北海道)をプロイセン王国(現ドイツ)に売却しようとしていましたが降伏したことで売却の話は反故に。

1995年の今日、テルアビブでの平和集会に出席したイスラエル首相イツハク・ラビンがユダヤ人青年に至近距離から銃撃され死亡しました。2年前、ラビンはパレスチナ解放機構のアラファト議長とオスロ合意を成立させ、イスラエルとパレスチナの和平を実現したばかりでした。

1936年の今日、イタリア王国の首相ベニート・ムッソリーニ(画像)が「ローマ・ベルリン・枢軸」という言葉を初めて使いました。この時点でナチスドイツとイタリアの間には条約や協定はありませんでしたが、この言葉は世界に浸透し、「枢軸国」という言葉を生むことに。

1940年の今日、第二次世界大戦下のスイスで最高指導者アンリ・ギザン(画像)がスイスの自由と独立を守る為に武装中立することを宣言しました。当時ナチスドイツ陣営に囲まれていたスイス。当然侵攻を考えていたヒトラーでしたがギザンを破るだけの戦略を立てることはできず。

1610年(慶長15年6月3日)の今日、加藤清正が名古屋城天守周辺を普請しました。徳川家康が九男である義直(尾張藩初代)の居城として築くことを決め、石垣の施工は諸大名に分断されました。中でも天守台の石垣は最も高度な技術を要する為、家康は清正に担当を命じたとか。

1982年の今日、米下院の秘密聴聞会においてソ連国家保安委員会(KGB)の少佐だったスタニスラフ・レフチェンコが日本国内での諜報活動を暴露しました。彼が証言したKGBの日本人協力者は約200人。中には国会議員、メディア関係者、大企業の会長の名前もありました。

1940年(昭和15年)の今日、在リトアニア日本領事代理である杉原千畝がナチスドイツの迫害でポーランドなど欧州各地から逃れてきたユダヤ系難民に日本ビザの発行を開始しました。約2ヶ月間で2千枚以上を発行し多くの避難民を救った彼は「東洋のシンドラー」と呼ばれました。

1373年の今日、イングランドとポルトガルの間で現在まで続く世界最古の同盟『英葡永久同盟』が結ばれました。同盟の証として結婚したイングランドの王族の娘フィリパとポルトガル王ジョアン1世の子供たちはポルトガルが黄金期を迎えた大航海時代に活躍しました。

1611年(慶長16年3月28日) の今日、豊臣秀頼が徳川家康の要請に応じて上洛。二条城で会見しました。会見については秀頼が家康に臣従したというのと両者の対等性を維持したという見解に分かれていますが、畿内の庶民は会見が何事もなく終わった事で天下泰平を祝ったとか。

1950年の今日、フランスの外相ロベール・シューマン(画像)がフランスと西ドイツの石炭・鉄鋼産業の共同管理を提唱しました。この『シューマン宣言』を基礎として翌年に欧州6か国により創設された『欧州石炭鉄鋼共同体』が現在の『欧州連合』へとつながっていきます。

1921年の今日、第一次世界大戦を終結させるロンドン講和会議において戦勝国はドイツに対し1320億マルクの支払いを要求。高すぎる賠償金(当時のドイツのGNPの20年分に相当)に追い込まれたドイツは救国の英雄を生み出し、その「英雄」が二度目の世界大戦を引き起こすことに。

1952年(昭和27年)の今日、戦後の日米間で最初の安全保障条約が発効されました。日本の安全を保障する為にアメリカ軍が日本に駐留することを定めた条約のはずがアメリカ軍の防衛義務が明言されていないという条約。国内の批判も多く、調印は吉田茂首相が単独で行いました。

1867年の今日、アメリカ合衆国の国務長官ウィリアム・スワードがロシア帝国からアラスカを購入しました。ロシアはクリミア戦争の為に財政がひっ迫。売却価格は720万ドル(現在価値で、およそ1億5千万ドル)。当初アメリカ国民は「巨大な保冷庫を購入した」等と非難しました。

2004年の今日、旧ワルシャワ条約機構に加盟していたエストニア、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ラトビア、リトアニア、ルーマニアが北大西洋条約機構 (NATO) に加盟しました。NATOは計30か国が加盟する政府間軍事同盟。約350万人の兵士と職員を保有する一大勢力です。

1815年の今日、ナポレオン戦争後に行われたウィーン会議により樹立されたネーデルラント連合王国の初代国王にウィレム1世(画像)が即位しました。国の領域は現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクに相当し、後に南部がベルギー王国として独立するまで続きました。

1881年の今日、国家元首として史上初めてハワイ国王カラカウアが来日しました。明治天皇と会見し移民の要請と、王女と皇族の政略結婚を要請(後者は断られました)するなど積極的に外交を行い、国内ではキリスト教宣教師により禁止されていたフラを復活させました。