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3月20日は何があった日?

1703年(元禄16年) の今日、吉良家に討ち入りをした赤穂の元藩士46人が幕府の命令により切腹しました。吉良家の討ち入りを「仇討ち」ではなく「押し込み」と判断した幕府でしたが、武士としての対面を考慮し、通常下されるはずの「斬首」でなく「切腹」を申し渡しました。

3月6日は何があった日?

1694年(元禄7年)の今日、高田馬場において伊予西条藩の菅野六郎左衛門らと村上庄左衛門らが決闘を行いました。討ち死にした菅野に代わり、助っ人の中山安兵衛が村上一派を討ちました。その武勇伝を聞いた赤穂藩の堀部家から懇願され養子になった安兵衛は名を「堀部武庸」に改名。

口冊司『堀部安兵衛と二人の室』発売

「忠臣蔵」で知られる赤穂義士による吉良邸の討ち入りから一年後、彼らは幕府から「罪人」として切腹を申し渡される。それからおよそ四十年。吉良邸討ち入りの発端となった浅野内匠頭をはじめ赤穂義士が眠る高輪泉岳寺に現れた一人の尼僧「妙海尼」が江戸の話題となる。妙海尼は四十七士の一人であり特

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