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12月4日は何があった日?

1185年(文治元年)の今日、後白河法皇が源頼朝に源義経追討の院宣を下しました。 鎌倉に武家政権を作る頼朝への対抗馬として義経を庇護してきた感のある御白河法皇(画像)。 この一ヶ月前には義経に頼朝追討の院宣を下しています。さすが、頼朝から「日本第一の大天狗」と言わせた後白河院。

10月8日は何があった日?

1203年(建仁3年)の今日、鎌倉で比企能員の変が発生。鎌倉二代目将軍・源頼家の後見人になっていた比企能員とその一族が頼朝の死で権勢を失っていた北条氏の謀略により一網打尽にされた事件。これで北条氏はその権力を確固たるものに。

9月8日は何があった日?

1180年(治承4年)の今日、 源頼朝が伊豆国で挙兵しました。これ、源平の戦いという風に見られがちですが、実は平氏の同族間での争いという見方もあります。頼朝の挙兵を助けた者の多くは関東を拠点とする坂東平氏。一方、敵は中国地方を拠点とする伊勢平氏だったのです。

9月5日は何があった日?

1205年(元久二年)の今日、北条時政が鎌倉を追放となる。時政は源頼朝が旗揚げして以来の家臣であり、鎌倉幕府の初代執権となって最強の権力を握った人です。そんな彼から執権職を剥奪し追放したのは、息子・義時とその姉・政子。老いた時政の傍若無人な振る舞いが追放の理由だとか。晩節を汚さず

8月27日は何があった日?

1232年(貞永元年)の今日、御成敗式目が制定されました。‬ ‪承久の変にて全国の武家を統治するようになった鎌倉幕府は武家としての規範となる慣習や道徳を示す必要がありました。幕府の支配者だった執権・北条泰時が中心となり制定。この法令は室町幕府まで引き継がれます。

8月21日は何があった日?‬

‪1192年(建久三年)の今日、源頼朝が征夷大将軍に就任。‬ ‪以後、日本では『武家の棟梁』=『征夷大将軍』=『幕府の代表』という不文律が定着することになります。西の伊勢平氏、北の奥州藤原氏、そして源義経の討伐を済ませたこの時が頼朝の絶頂期だったのかも・・・。

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