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4月10日は何があった日?

1246年(寛元4年3月23日) の今日、鎌倉幕府執権・北条経時が重病のため弟の時頼が5代執権に就任しました。 執権の権力を強化する一方で御家人や民衆に対して善政を敷き、現在でも名君として高く評価されている北条時頼。執権を退いた後、諸国を遊行したという伝説も。

2月1日は何があった日?

1268年の今日、モンゴル帝国の使節団が日本との通交を求めて来日。鎌倉幕府八代執権に就任したばかりの北条時宗はこれを黙殺しました。「元寇」のきっかけに。 モンゴル帝国はマルコ・ポーロ(画像)の『東方見聞録』黄金の国ジパングの伝説に興味を持ったのが発端とのこと。

10月8日は何があった日?

1203年(建仁3年9月2日)の今日、比企能員が率いる比企家が北条時政の差し向けた軍によって滅ぼされました。比企能員の変。鎌倉幕府二代将軍・源頼家(画像)が嫡男である一幡に家督を譲ろうとしたのが事件の発端。時政は一幡の後見人である比企家の権力掌握を阻止しました。

7月8日は何があった日?

1247年(宝治元年6月5日)の今日、鎌倉幕府第五代執権の北条時頼(画像)が幕府評定衆である三浦泰村率いる三浦家とその与党を討伐しました。鎌倉幕府の実権を握った北条義時と強い協力関係にあった三浦家はこの戦いで滅亡。北条家に対抗できる御家人は無くなりました。

6月28日は何があった日?

1193年(建久4年5月28日)の今日、源頼朝が開催した富士の巻狩りにて曾我祐成と時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を暗殺しました。『日本三大仇討ち』の一つに挙げられる『曾我兄弟の仇討ち』ですが手引きした者の存在や頼朝が襲われそうになるなど真相は薮の中。

12月14日は何があった日?

1285年(弘安8年)の今日、鎌倉幕府において8代執権・北条時宗の死後、有力御家人だった安達泰盛(画像)と内管領の平頼綱の対立が激化する中、頼綱方の先制攻撃により泰盛とその一族と与党が滅ぼされました。これが源頼朝没後の北条氏と有力御家人との最後の争いに。

10月14日は何があった日?

1189年(文治5年)の今日、源義経を自害に追い込んだ奥州藤原氏第4代当主の藤原泰衡が鎌倉軍から逃げている途中、郎党の河田次郎に裏切られ殺害されました。源頼朝は生首になった泰衡の眉間に八寸の鉄釘を打ち付けて柱に懸けさせました。裏切った次郎も斬首に。

9月5日は何があった日?

1205年(元久2年)の今日、鎌倉幕府初代執権だった北条時政が出家し鎌倉から追放されました。そう仕向けたのは実子である政子と義時。時政が後妻である牧の方と共謀して将軍の実朝を殺害し平賀朝雅を新将軍として擁立しようとした為。第2代執権に義時が就任しました。

8月16日は何があった日?

1225年(嘉禄元年)の今日、北条政子が病により死去しました。享年69。前年、弟で執権の義時が急死。政子は次の執権に泰時を立てる為、対抗馬を擁立しようとする伊賀氏を粛正。最後の最後まで陰謀だらけの人生でした。

8月14日は何があった日?

1204年(元久元年)の今日、伊豆修善寺に幽閉されていた鎌倉幕府2代将軍の源頼家が謀殺されました。享年23歳。殺害したのは北条氏の兵士。「吾妻鏡」には頼家死去の一報を記すのみで「愚管抄」によると入浴中、頼家の首に紐を巻き付け急所を押さえて刺殺したとのこと。

8月1日は何があった日?

1203年(建仁3年)の今日、二代将軍の源頼家の命令により阿野全成が誅殺されました。義経の同母兄で兄弟の中で最初に頼朝軍に合流した全成は頼朝の死後、舅の北条時政と共に頼家の弟の実朝を擁立し頼家一派と対立していました。その荒くれ者ぶりから「悪禅師」とも。

7月1日は何があった日?

1224年(元仁元年)の今日、鎌倉幕府の指導者・北条義時が62歳で死去しました。死因は衝心脚気とされていますが死の直前まで精力的に政治活動をしており、当時から「後妻に毒殺された」「近習に刺殺された」などの風聞があったとか。北条氏の嫡流を表す『得宗』は義時の別称。

6月30日は何があった日?

1333年(元弘3年)の今日、鎌倉幕府への倒幕軍に対して先鋒隊を率いた最後の執権・北条守時が自害しました。実権は元執権である北条高時が握っており、守時は足利高氏と親戚関係にあった為、立場を明確にすべく自ら先鋒になったうえ、退却せずに自害を選んだとか。享年39歳。

6月11日は何があった日?

1173年(承安3年)の今日、京都・神護寺の再興を後白河法皇に強訴した僧・文覚が捕縛されました。伊豆へ流刑になった文覚は同じく流刑になっていた源頼朝と知り合い、『愚管抄』には二人が「四年間朝夕慣れ親しんだ仲」と記されています。

6月5日は何があった日?

1221年(承久3年)の今日、後鳥羽上皇が倒幕のため千七百騎の兵を挙げました。 北日本は鎌倉幕府、西日本は朝廷が支配する二元統治下、天皇家の庶流である源氏が将軍だった間は良好な関係を築いていた上皇でしたが(自称)平氏である北条氏が実権を握るや武力行使に。

5月19日は何があった日?

1293年(正応6年)の今日、関東地方南部で地震が発生しました。鎌倉大地震。多くの神社仏閣が倒壊。土砂災害により2万人以上の死者が出ました。そんな状況の中、鎌倉幕府・第9代執権の北条貞時は混乱を利用し当時幕府内で実権を握っていた平頼綱の屋敷を襲撃させています。

4月22日は何があった日?

1212年(建暦2年)の今日、鴨長明が随筆『方丈記』を書き上げました。暮らした小庵が一丈四方(方丈)だったことからそう名付けた書には長明の実体験が書かれています。都で起きた火災、竜巻、大地震、それに長期にわたる飢饉など十年ほどの間にあまりに多くの天変地異が。。

3月12日は何があった日?

1352年(正平7年)の今日、足利直義が死去しました。兄の尊氏と共闘し建武の新政および後醍醐天皇との戦いでも中心人物として活躍しました。足利政権の樹立の立役者。 画像は長らく源頼朝の肖像されていましたが近年では直義の像とする説も。

1月24日は何があった日?

1336年(正慶4年/建武2年)の今日、現在の静岡県小山町竹之下で足利尊氏の軍と後醍醐天皇の宣旨を受けた新田義貞(画像)の軍が開戦。最終的に足利軍が勝利。戦争の直前に尊氏は朝敵になることを恥じて出家。積極的に軍事行動を起こしたのは弟の直義だったそうです。

1月20日は何があった日?

1226年(嘉禄元年)の今日、鎌倉幕府に評定衆が設置されました。評定衆は行政・司法・立法を取り仕切る最高政務機関であり「十三人の合議制」が原型。この年は北条政子や大江広元など事実上、幕府を主導してきた人々がいなくなったことも設置の一因ともいわれています。

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