
新歴史観ブックス
2025年3月4日読了時間: 1分
3月4日は何があった日?
1160年(永暦元年1月25日)の今日、源義朝の庶長子であり「鎌倉悪源太」と呼ばれた源義平が平家軍により六条河原で処刑されました。 義朝の長男でありながら庶子として官位を与えられた記録はない義平ですが『平治物語』では主人公的な立場になっています。死亡日は諸説あり。

1160年(永暦元年1月25日)の今日、源義朝の庶長子であり「鎌倉悪源太」と呼ばれた源義平が平家軍により六条河原で処刑されました。 義朝の長男でありながら庶子として官位を与えられた記録はない義平ですが『平治物語』では主人公的な立場になっています。死亡日は諸説あり。

1559年(永禄2年1月11日) の今日、少弐冬尚が龍造寺隆信に破れ自害。少弐氏が滅亡しました。 大宰府の次官・大宰少弐に任命されたことから始まり、鎌倉時代には北部九州最大の守護に成長した少弐氏。龍造寺に敗れる以前にも大内氏に攻められて、すでに二度滅亡しています。

1899年(明治32年)の今日、勝海舟が脳溢血により逝去しました。享年75。 赤坂氷川の地で過ごした晩年の海舟は政府から依頼されて多くの著述や編纂に当たりながら旧幕臣たちによる「徳川氏実録」の編纂計画に対しては阻止工作をしたとか。最期の言葉は「コレデオシマイ」。...

1367年(貞治6年12月7日)の今日、室町幕府第2代征夷大将軍・足利義詮が死去。享年38。足利尊氏の息子で足利義満の父親であり初代鎌倉公方の足利基氏の兄。太平記では口車に乗りやすく酒色に溺れた愚鈍な人物として描かれていますが、内政や軍略で功績を残しています。

1926年(大正15年/昭和元年)の今日、大正天皇(画像)が崩御したことで裕仁親王が皇位を継承しました。 大正天皇は生まれた時から体が弱く天皇に即位した翌年からは公務のみならず日常生活にも支障を来たすように。1921年には裕仁親王が摂政に就任し、公務を代行しました。

592年(崇峻天皇5年11月3日)の今日、第32代・崇峻天皇が暗殺されました。 暗殺の黒幕は大臣の蘇我馬子(画像)。崇峻天皇が馬子に対して敵意のあるような発言をした為だとか。崇峻は史実として暗殺されたことが明らかな唯一の天皇(大王)となり、女性天皇の誕生へと。

1916年(大正5年)の今日、小説家の夏目漱石が腹腔内出血を起こし死去しました。 最期の言葉は、寝間着の胸をはだけながら「ここに水をかけてくれ、死ぬと困るから」 と叫んだとか、泣き出した四女に漱石が「いいよいいよ、もう泣いてもいいんだよ」と言ったとも。

1954年(昭和29年)の今日、南洋興発の創業者・松江春次が脳溢血で死去。 南洋興発は第一次世界大戦後に日本が統治領としたサイパン島に設立された会社。製糖業を中心に発展させた松江は「砂糖王」と呼ばれました。サイパンにある『砂糖王公園』には松江の銅像があります。

511年の今日、メロヴィング朝フランク王国の初代国王クローヴィス1世が死去しました。 クローヴィス1世はパリを初めて王都に定めた王であり、フランス王国の基礎を築いた初代フランス王とされています。フランク族では分割相続の習慣があり、彼の死後、王国は分裂しました。

1963年の今日、ダラス市内をパレード中だったアメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディが銃撃され即死しました。 翌年に出された調査結果報告の内容とライフル銃弾の軌道や周囲の状況証拠や証言などに食い違いがあり、真相については現在も議論の的になっています。

1719年(享保4年10月10日)の今日、佐賀藩鍋島家の旧臣・山本常朝が死去しました。満60歳。 常朝が同じく鍋島家の旧臣である田代陣基の前で語った藩主に仕える者の心構えと佐賀藩の歴史や習慣に関する知識など。それらを陣基が筆記して完成させたのが『葉隠』でした。...

1967年(昭和42年)の今日、第二次世界大戦後、第45〜50代内閣総理大臣を務めた吉田茂が死去しました。二ヶ月ほど前に心筋梗塞を発症したばかりでした。享年90。 戦後初の国葬が日本武道館で行われ、官公庁や国公立の学校は半休、公営競技も開催を終日取り止めました。

1889年(明治22年)の今日、 外務大臣・大隈重信の乗る馬車に爆弾が投げ込まれ爆発しました。犯人である玄洋社の来島恒喜(画像)はその場で自害。大隈は命はとりとめたものの右膝と踝に重傷を負い、右脚を切断することになりました。事件後、大隈は来島の勇気を褒めたとか。

1858年(安政5年9月6日)の今日、江戸時代後期を代表する浮世絵師である歌川広重が病死しました。享年62。死因はコレラだったと伝えられています。 風景を描いた木版画で一世を風靡。ゴッホやモネなど西洋の画家に多大な影響を与えました。

1921年(大正10年)の今日、安田財閥の総帥である安田善次郎(画像)が大磯の別邸で右翼浪人に暗殺されました。犯人はその場で自殺。 この事件の約1か月後に起きた総理大臣・原敬の暗殺事件はこの事件に影響されたものとされています。 ◇口冊司作品はこちら>>...

1877年(明治10年)の今日、江戸幕府第14代将軍の徳川家茂の正室だった和宮親子内親王が薨去しました。31歳という若さでした。政府は葬儀を神式で行う予定でしたが「家茂の側に葬って欲しい」という和宮の遺言に従い仏式で行われ、墓所は家茂と同じ増上寺に建立されました。...

770年(神護景雲4年8月4日) の今日、48代天皇の称徳天皇 (=46代天皇の孝謙天皇)が崩御しました。 史上6人目の女性天皇であり天武系最後の天皇。称徳天皇以降は江戸時代初期に109代明正天皇が即位するまで約850年間、女性天皇が立てられることはありませんでした。...

1578年(天正5年7月17日)の今日、尼子氏の家臣・山中幸盛(通称は鹿介)が敵対する毛利輝元に降伏後、毛利の陣に連行中、毛利家の家臣によって謀殺されました。享年34。 幸盛は「尼子三傑の一人」「山陰の麒麟児」などの異名を取る優れた武勇の持ち主として知られています。...

1864年(元治元年7月16日)の今日、幕末の幕臣で直心影流の剣士・男谷信友が死去しました。享年67。実力の高さと温厚な人格から「幕末の剣聖」と呼ばれた男谷はまちまちであった竹刀の全長を3尺8寸に定める等、現代の剣道に大きな影響を与えました。

1597年(慶長2年6月12日)の今日、戦国大名・小早川隆景が死去しました。享年65。 父・毛利元就の政策により小早川氏に養子縁組。元就の死後は兄である吉川元春と共に「毛利両川」として当主で甥の毛利輝元の補佐を務めました。豊臣政権下では「五大老」の一人に。...