
新歴史観ブックス
2023年9月20日読了時間: 1分
9月20日は何があった日?
1498年(明応7年8月25日)の今日、鎌倉大仏の大仏殿が明応地震(南海トラフ巨大地震)で発生した8メートル以上の津波に流されました。最大震度は6。M8.2- 8.4。地震の揺れは会津から京都まで広範囲に渡り、東海道一帯が大きな津波に襲われました。

1498年(明応7年8月25日)の今日、鎌倉大仏の大仏殿が明応地震(南海トラフ巨大地震)で発生した8メートル以上の津波に流されました。最大震度は6。M8.2- 8.4。地震の揺れは会津から京都まで広範囲に渡り、東海道一帯が大きな津波に襲われました。

1923年の今日、関東大震災の発生から5日後、千葉県福田村に来た香川県の薬の行商団15人が地元自警団200人から暴行を受け、子供3人を含む9名が殺害されました。震災後の混乱やデマにより社会不安が蔓延。この事件の他、在日の朝鮮人や中国人が襲撃され多くの死傷者が出ました。

1923年(大正12年)午前11時58分、関東地方南部を震源として震関東大震災が発生しました。揺れは約9000km離れたウイーンでも観測され、世界にいち早く関東地震の発生を報じたのは日本ではなくオーストリア気象庁でした。死者・行方不明者105,385人。

1783年の今日、アイスランドでラキ火山(画像)が噴火しました。放出された大量の二酸化硫黄で健康被害が発生。空を覆った火山灰でヨーロッパと北アメリカは異常気象に。日本では、同じ年の浅間山の噴火と重なって冷害が発生し『天明の大飢饉』の一因になったという説も。

1815年の今日、インドネシアのタンボラ山が噴火しました。放出された大量の火山灰が太陽光をさえぎり気温が低下。「夏のない年」が始まり農作物が不作に。ターナーの『チチェスター運河』には火山灰が生んだ壮大な夕暮れが描かれています。

2011年(平成23年)の今日14時46分、三陸沖にてマグニチュード9.0の超巨大地震が発生しました。去年3月末までに確認された死者と行方不明者は災害関連死を含めて2万2212人に上り、10万人を超える被災者が屋内退避や警戒区域外への避難を余儀なくされました。

1952年の今日、ロンドンスモッグが発生し一万人以上の死者を出す大惨事に。原因は石炭を使った暖房とディーゼルバスと火力発電所。特にディーゼルバスから発生した亜硫酸ガスは濃縮されて強酸性の高い硫酸となり霧のように街をおおいました。

1855年(安政2年)の今日、関東地方南部でM7クラスの地震が発生しました。安政江戸地震。埋立ての隅田川東岸の深川や浅草の吉原での被害が大きく、一万人あまりの死者が出たと考えられています。黒船の来航、幕府の弾圧、疫病の蔓延、それに地震と、波乱だらけの幕末です。

1780年の今日、大西洋沖に「グレートハリケーン」が発生しました。ハリケーンは六日間かけてカリブ海の小アンティル諸島のマルティニーク島、シント・ユースタティウス島、バルバドス島などに約2万2千人が死亡する壊滅的な被害を与えました。

729年(天平元年)の今日、藤原不比等の娘・光明子が聖武天皇の妃になりました。彼女は「光明皇后」として初の皇族以外の皇后に。当時、蔓延していた疫病や災害により苦しむ人々を救う為に救済所などを建設し「国母」と呼ばれ万民から敬愛されました。

1923年(大正12年)の今日、南関東とその隣接地で大きな地震が発生しました。関東大震災。死者・行方不明者は推定で十万五千人。阪神淡路大震災では圧死、東日本大震災では溺死、関東大震災では焼死が多く、当日、台風により吹き込んだ強風が要因になっています。

737年(天平9年)の今日、藤原不比等の嫡男・藤原武智麻呂が天然痘により死去。不比等の死後、彼の息子四人による「藤原四子政権」が続く中、武智麻呂の他の三人も天然痘により急死しました。8年前に四兄弟の陰謀で死に追いやられた長屋王の呪いだと信じられていたとか。

1949年(昭和24年)の今日、国鉄の三鷹駅構内で無人列車が暴走しました。時速60km程の速度で車止めに激突し脱線転覆。線路脇の商店街に衝突し車両の下敷となり6名が即死、負傷者20名が出る大惨事に。原因や詳細はいまだ不明で、今も「国鉄三大ミステリー事件」の一つ。

1837年(天保8年)の今日、「大塩門弟」と称した国学者の生田万が天保の大飢饉で苦しむ民の救済の為に蜂起しました。生田万の乱。同年、大坂で起きた大塩平八郎の乱に刺激されたものの藩兵に攻撃され万は負傷して自刃。彼の妻と2人の幼い子供もその後を追ったとも。

1915年の今日、梁瀬長太郎が梁瀬商会(現在のヤナセ)を設立しました。関東大震災が発生した時「大災害の時は物より人の移動が優先される」と考えた梁瀬はGMに乗用車2000台を注文。これが当たり破産寸前の状態から復活。トラックを輸入した同業者は在庫処分に苦労したとか。

1293年(正応6年)の今日、関東地方南部で地震が発生しました。鎌倉大地震。多くの神社仏閣が倒壊。土砂災害により2万人以上の死者が出ました。そんな状況の中、鎌倉幕府・第9代執権の北条貞時は混乱を利用し当時幕府内で実権を握っていた平頼綱の屋敷を襲撃させています。

1986年の今日、ソ連の構成国だったウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で原子炉が暴走し蒸気爆発を起こしました。ソ連政府の発表による死者数は運転員や消防士などを合わせた33名ですが国際原子力機関(IAEA)は被曝により4万人が癌で死亡するという推計を発表しました。

1212年(建暦2年)の今日、鴨長明が随筆『方丈記』を書き上げました。暮らした小庵が一丈四方(方丈)だったことからそう名付けた書には長明の実体験が書かれています。都で起きた火災、竜巻、大地震、それに長期にわたる飢饉など十年ほどの間にあまりに多くの天変地異が。。

800年(延暦19年)の今日、富士山が噴火しました。延暦噴火。『日本後紀』に記された当時の状況は「富士山が自ら燃え、夜も火の光が照らし雷灰が落ち、山下の川水は紅色になった」。この後、富士山が噴火をしたのは864年と1707年の二回。富士山は今も活火山です。

1815年の今日、インドネシアのタンボラ山で噴火が起きました。人類史上最大の火山噴火。火砕流は集落を壊滅させ大津波を発生させ直接の死者だけでも約1万人、翌年に世界中で起こった異常気象とそれを原因とする飢餓や疫病の為に10万人以上が犠牲になったといわれています。

