top of page

7月3日は何があった日?

1837年の今日、国学者の生田万が同志と共に越後国柏崎の陣屋を襲いました。天保の大飢饉のさなか貧民を救済することを目的とした反幕運動。同年に起きた大塩平八郎の乱に強く影響されたものです。乱は翌日に鎮圧され、万は自害しました。 柏崎の乱、または生田万の乱。

6月29日は何があった日?

1689年の今日、松尾芭蕉がおくのほそ道の旅において平泉を訪問しました。平泉は旅の折り返し地点にあたり、芭蕉が藤原三代の栄華を偲んで詠んだ詩が「夏草や兵どもが夢のあと」です。芭蕉は弟子・河合曾良を伴い全行程約2400km、およそ二年をかけて旅しました。

6月27日は何があった日?

1863年の今日、長州藩の井上聞多、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔、野村弥吉がイギリスへの留学の為、横浜港を密出国しました。イギリスを見る以前に、彼らは途中立ち寄った上海を見て開国の必要性を悟ったと言います。上海は当時、東アジア最大の西欧文明の中心地でした。

6月19日は何があった日?

1716年の今日、江戸幕府第7代将軍・徳川家継が6歳で死去しました。日本史上、最年少で任官し最年少で死去した征夷大将軍。幼い為に前将軍からブレーン的な立場にあった新井白石と間部詮房による側近政治が進められました。死因は風邪の悪化による急性肺炎とされています。

6月9日は何があった日?

1865年の今日、第二次長州征討のため将軍・徳川家茂が江戸を出発しました。脚気を患っていたと考えられる家茂は長旅が祟ったか大坂城で病死しました。彼を慕っていた勝海舟は家茂死去の報せを聞いた日の日記に「徳川家、今日滅ぶ」と記したそうです。

6月5日は何があった日?

1691年の今日、江戸幕府が豪商・住友家に別子銅山の採掘を許可しました。当主は四代目・住友友芳。この銅山開発が、後に住友財閥と呼ばれる当家の大躍進の基になります。別子銅山は1973(昭和48)年に閉山されるまで長く銅を産出し続けました。写真は戦前の頃。

5月30日は何があった日?

1863年の今日、清河八郎が幕府の刺客に暗殺されました。剣は北辰一刀流免許皆伝、学問は昌平黌に学んだ逸材である彼が開いた清河塾。そこに集った改革派の若手幕臣たちと尊皇攘夷の部隊結成を画策するも、結果それが後の新選組や新徴組に発展し志士たちを苦しませることに。

5月18日は何があった日?

1729年の今日、将軍・徳川吉宗の落胤と称して浪人を集めていた天一坊改行が獄門刑に処されました。事件を担当したのは「大岡越前」こと大岡忠相、ではなく勘定奉行の稲生正武と関東郡代の伊奈忠逵でした。忖度があったか、乱の芽を潰す為か、結局、事件の真相は藪の中。

5月13日は何があった日?

1612年の今日、巖流島での決闘が行われました。 佐々木小次郎はこの決闘で死んだとされていますが、一説では、宮本武蔵の攻撃では絶命せず、倒れているところを宮本武蔵の弟子四人に撲殺されたとのこと。 後日その事実を知った小次郎の弟子たちは武蔵への復讐を企てています。

5月9日は何があった日?

1742年の今日、公事方御定書が完成しました。八代将軍・徳川吉宗の下で作成された上下巻の法典。上巻が司法警察関係の基本法令、下巻が判例に基づいた刑事法令を収録。江戸幕府において初めて刑罰の適用法が明文化され、現代に続く「更生の概念」が取り入れられました。

4月29日は何があった日?

1600年の今日、ウィリアム・アダムスやヤン・ヨーステンらが乗船したオランダ船が豊後臼杵湾に漂着しました。徳川家康と謁見し信任された二人。アダムスは三浦安針として、ヨーステンは耶楊子として日本で生活を始めました。「八重洲」はヨーステンが由来とされています。

4月28日は何があった日?

1856年の今日、江戸幕府が講武所を開校しました。幕末。列強国との力の差を痛感した幕府は役人や旗本の子弟を対象にした文武両方を教育できる学校の設立を決断。それが講武所です。これを幕府に提案して実現させたのは「幕末の剣聖」こと男谷精一郎だと言われています。

4月10日は何があった日?

1657年の今日(新暦)、徳川光圀が「大日本史」の編纂に着手しました。 初代とされる神武天皇から100代の後小松天皇(南北朝統一)までの歴史をまとめた書。 書が完成したのは約250年後の明治時代ですが、書から派生して生まれた「水戸学」は幕末の尊皇の基礎になります。

3月31日は何があった日?

1854年の今日、アメリカと江戸幕府が日米和親条約を締結。調印時、幕府は英語の条約書への署名を拒否し自ら用意した日本語の書類に署名しました。その為、両国が署名した条約書は存在しません。二つの条約書には一部内容に違いがあり、後で大きな外交問題に発展しました。

3月25日は何があった日?

1837年の今日、大塩平八郎の乱が勃発。前年までの天保の大飢饉により大坂は深刻な米不足に陥ります。町民を救済しない大坂町奉行に対して元与力だった大塩平八郎は奉行所襲撃を計画。しかし目的は達成されず、それどころか乱による火事で大坂市中の5分の1が燃えました。

3月24日は何があった日?

1603年の今日、徳川家康が征夷大将軍に就任しました。この時点で日本史としては、およそ260年続く江戸時代が始まりますが、大坂にいる豊臣家はいまだ強大な勢力を持ち、西日本を中心に豊富恩顧の大名たちが徳川家への反抗姿勢を維持していました。

3月15日は何があった日?

1717年の今日、徳川吉宗が大岡忠相を江戸南町奉行に任命しました。現代では「大岡越前守」という呼び名で知られる忠相は町奉行の後、関東地方御用掛や寺社奉行を歴任し、とうとう大名にまでなりました。町奉行から大名になったのは江戸時代を通して彼だけです。

3月6日は何があった日?

1694年の今日、高田馬場の決闘が起こりました。仕事仲間の些細な口喧嘩が発端である事件。決闘の当事者よりも助っ人として参加し3人を斬ったとみられる中山安兵衛が有名に。 決闘後その腕を見込まれた彼は堀部家の娘婿となり、あの忠臣蔵の堀部安兵衛として名を残します。

3月2日は何があった日?

1657年の今日、明暦の大火が発生しました。江戸三大大火の筆頭および世界三大大火の一つにも挙げられる大火事は江戸の大半を焼き、死傷者は3万から10万と言われています。 火元については本妙寺での失火説、幕府による放火説、そして老中屋敷での出火を本妙寺が引き受けた説など未だに明らか

2月18日は何があった日?

1773年の今日、側用人である田沼意次が老中に就任しました。徳川吉宗から息子であり九代将軍となる家重の小姓に抜擢された彼は600石の旗本から5万7000石の大名にまで昇進し側用人から初めて老中になった人物です。重商主義政策を中心に数々の幕府改革を行いました。

blog: Blog2
bottom of page