
新歴史観ブックス
10月1日読了時間: 1分
10月1日は何があった日?
1975年の今日、 マニラでプロボクシングWBA・WBC世界統一ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対ジョー・フレージャー第3戦」が行われました。 全世界で推定10億人の視聴者を記録。観客の熱気で最高摂氏49度にまで達した会場での消耗戦の末、アリがTKO勝ちしました。

1975年の今日、 マニラでプロボクシングWBA・WBC世界統一ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対ジョー・フレージャー第3戦」が行われました。 全世界で推定10億人の視聴者を記録。観客の熱気で最高摂氏49度にまで達した会場での消耗戦の末、アリがTKO勝ちしました。

1947年(昭和22年)の今日、前田山英五郎が第39代横綱に昇進しました。 巡業中、あの力道山と喧嘩になり張り手一発で力道山を失神させたという前田山ですが、横綱としては在位6場所と昭和以降では最短。皆勤はたったの2場所。横綱の1場所の最高成績も9勝6敗が最高でした。

1997年の今日、WBA世界ヘビー級王座のダイレクトリマッチで王者イベンダー・ホリフィールドに対してマイク・タイソンが挑戦。第3ラウンド、タイソンがホリフィールドの耳を噛み切り反則負けになりました。その後、タイソンは敵陣営に殴りかかりリング上は大混乱。

1963年(昭和38年)の今日、東京体育館でWWA世界ヘビー級選手権試合が開催されました。ザ・デストロイヤーと力道山の試合の平均視聴率は64%。4の字固めを決められた力道山はギブアップすることなく戦い続け、結果、試合続行不可として引き分けになりました。

1984年(昭和59年)の今日、力士の寺尾の十両昇進が決定。実兄の鶴嶺山と逆鉾とと共に史上初三兄弟が同時に関取に。 井筒親方を襲名した逆鉾は2019年に死去。引退後、飲食店を営んでいた鶴嶺山は翌2020年に死去。そして錣山親方となった寺尾は2023年にこの世を去りました。

1952年(昭和27年)の今日、後楽園スタヂアムでのNBA世界フライ級王座戦で挑戦者の白井義男(画像)が判定勝ち。日本人初のプロボクシング世界王者になりました。これを記念して日本プロボクシング協会は2010年にこの日を『ボクシングの日』に制定しました。

1971年(昭和46年)の今日、第48代横綱の大鵬(画像)が現役を引退しました。 引退後は初の一代年寄として引き続き『大鵬』を名乗り大鵬部屋を創立しました。 娘婿が幕内優勝経験もある元関脇の貴闘力。その三男が現在、幕内で活躍する王鵬です。

1956年(昭和31年)の今日、 東京・蔵前国技館で第1回世界柔道選手権が開催されました。当時の大会は、男子の体重無差別のトーナメント戦。出場者は21ヵ国31名でした。初代世界王者は21歳で柔道を始めた夏井昇吉(画像)でした。女子の第1回世界柔道は1980年に開催。

1825年(文政8年2月21日)の今日、元大相撲力士の雷電爲右エ門が死去しました。59歳没。現役生活21年、江戸本場所在籍35場所(大関在位27場所)で通算黒星が10個。勝率.962の大相撲史上未曾有の最強力士。現役引退後は松江藩の相撲頭取に就任し後進の育成に尽力しました。

1960年 (昭和35年)の今日、大相撲大阪場所の千秋楽で栃錦と若乃花が対戦。全勝かつ両横綱の対戦は史上初。結果は若乃花が寄り切りで勝利。 戦後最初の黄金期である「栃・若時代」は大相撲が年6場所になった以降は毎場所のように2人で優勝を分け合い名勝負を展開しました。

1993年(平成5年)の今日、米ハワイ出身で東関部屋に所属していた力士の曙太郎が大相撲1月場所で優勝。外国人力士初の横綱昇進が決まりました。第64代横綱。 身長204cm。体重233kg。曙は当時大人気だった若貴兄弟の前に立ちはだかり武蔵丸共々大相撲を大いに盛り上げました。

2022年(令和4年)の今日、WBAスーパー・WBC・IBF世界バンタム級王者のプロボクサー井上尚弥がWBO世界バンタム級王者ポール・バトラーに11回でKO勝利。 WBO王座を獲得したことでボクシング史上9人目にしてバンタム級及びアジア人初の四団体統一世界王者になりました。

1994年(平成6年)の今日、WBC世界バンタム級王者の薬師寺保栄とWBC世界バンタム級暫定王者の辰吉丈一郎が統一王座決定戦を戦いました。 日本人同士による初の統一王座決定戦。「世紀の一戦」と呼ばれた試合は2-0の判定で薬師寺が勝利しました。 ◇口冊司作品はこちら>>...

1945年(昭和20年)の今日、両国国技館で戦後初の大相撲本場所興行が始まりました。 第二次世界大戦末期には風船爆弾の工場にされ、敗戦後はGHQによって「メモリアルホール」と改称のうえ改装されますが、まだ天井が焼け落ちた状態で相撲が開催されました。画像は改装後。

1962年(昭和37年)の今日、日本人プロボクサーのファイティング原田が世界フライ級チャンピオンになりました。 ファイティング原田は世界ボクシング殿堂入りを果たした最初の日本ボクサー。リングネーム「ファイティング」は現在JBCにから欠名指定されています。

1963年(昭和38年)の今日、横綱・大鵬が大相撲史上初の6場所連続優勝を果たしました。しかし大鵬の全盛期は相撲人気が低迷。ライバルだった柏戸が休場を繰り返し大鵬一人勝ちの場所が続いたことでマンネリ化し観客も減少。民法各社は大相撲中継から撤退しました。...

1922年(大正11年)の今日、靖国神社相撲場で渡辺勇次郎主催の日本初のプロボクシング興行「日米拳闘大試合」が開催されました。日本で初めて本格的なボクシングジム「日本拳闘倶楽部」を創設した渡辺勇次郎は多くの名選手を育てた「日本ボクシングの父」と呼ばれています。

1970年(昭和45年)の今日、大関の玉の海と北の富士が横綱に同時昇進を果たしました。 ライバルでもあり親友でもあった両関取。「北玉時代」の到来と言われながら、玉の海は27歳という若さで急逝しました。

2017年(平成29年)の今日、大相撲初場所14日目、大関の稀勢の里が初優勝を果たしました。史上初めて優勝無しで年間最多勝を記録するなど実力がありながらチャンスを掴めなかった稀勢の里ですが初優勝で横綱昇進がすぐに決定。現在は引退し二所ノ関親方として一門の総帥に。

2022年(令和4年)の今日、WBAスーパー・WBC・IBF世界バンタム級王者のプロボクサー井上尚弥がポール・バトラーに11回でKO勝利。新たにWBO王座を獲得しました。ボクシング史上9人目にしてバンタム級およびアジア人初の四団体統一王者が誕生。

