top of page

6月14日は何があった日?

1583年(天正11年)の今日、秀吉軍に居城である北ノ庄城を包囲された柴田勝家と妻のお市の方、その他80名余が自害しました。勝家から退去を勧められた市は共に自決することを選び、三人の娘(茶々、初、江)を秀吉に託すことに。秀吉の側室になった茶々は「淀殿」と呼ばれ、

6月13日は何があった日?

1587年(天正15年)の今日、九州平定間近だった島津義久が豊臣秀吉に降伏しました。義久の降伏後、島津四兄弟のうち次弟の義弘と三弟の歳久は城に籠り抵抗を続け、義弘の降伏後も歳久だけは秀吉に反抗し続け、結局、義久は歳久を粛正することに。歳久は自害しました。

6月12日は何があった日?

1560年(永禄3年)の今日、織田信長が桶狭間山附近で今川義元を討ち取りました。指を噛み千切られながらも義元の首を討ち取った毛利新介は「本能寺の変」で二条新御所にて闘死するまで信長の側近として重用されました。

6月3日は何があった日?

1570年(元亀元年)の今日、越前の朝倉義景討伐のため進軍していた織田信長が同盟関係にあった近江の浅井長政(画像)の裏切りにより撤退しました。裏切った理由については現在も定かになっておらず、報告を聞いた際、信長は義弟でもある長政の裏切りを信じなかったそうです。

6月1日は何があった日?

1569年(永禄12年)の今日、徳川軍に包囲された今川氏真が降伏し、戦国大名としての今川氏が滅亡しました。「海道一の弓取り」と呼ばれた父・今川義元の死から9年後のこと。その後、氏真は北条氏に庇護された後、徳川氏へと。今川氏は徳川幕府に仕え、明治まで続きました。

5月28日は何があった日?

1556年(弘治2年)の今日、道三流斎藤氏初代当主だった「美濃の蝮」こと斎藤道三が嫡男の斎藤義龍の軍に敗れ死去。この2年前に道三は家臣たちから引退を迫られ義龍に家督を譲っていました。他の戦国大名のような画期的な政策が打てない道三を家臣たちが見限ったから、とか。

4月25日は何があった日?

1582年(天正10年)の今日、武田家の残党を匿った恵林寺を織田軍が焼き討ちにしました。恵林寺と共に焼死したを大導師・快川紹喜が残した辞世の句が有名です。「安禅必ずしも山水をもちひず心頭滅却せば火も自づから涼し」

4月19日は何があった日?

1578年(天正6年3月13日)の今日、上杉謙信が死去しました。死因は脳溢血と見られています。死後、養子である二人の息子が跡目争い「御館の乱」を起こし、敗れた上杉景虎が翌年4月19日(天正7年3月24日)に。家督を継いだ上杉景勝が1623年4月19日(元和9年3月20日) に死去

4月3日は何があった日?

1582年(天正10年)の今日、甲州征伐を進める織田軍の追討から逃れていた甲斐武田家の当主代行・武田勝頼と彼の息子で信玄から次の当主として指名された信勝が天目山の麓で自害しました。まだ十五歳だった信勝の死により新羅三郎義光から続く甲斐武田氏の嫡流は途絶えました。

3月27日は何があった日?

1581年(天正9年)の今日、イエズス会の巡察使アレッサンドロ・ヴァリニャーノが織田信長に謁見しました。信長はヴァリニャーノの従者であるアフリカ人男性のことを気に入り家臣として召し抱えました。「弥助」と名付けられた彼は「本能寺の変」まで信長に近侍しました。

3月23日は何があった日?

1548年(天文17年)の今日、信濃国上田原で甲斐の武田晴信と北信濃の村上義清が戦いました。家督相続後、信濃制圧に向け連勝を続けていた武田晴信はこの合戦で板垣信方(画像)、甘利虎泰ら重臣を失い事実上の敗北を喫しました。この後、信濃国人衆は結束して反撃に。

3月21日は何があった日?

1591年(天正19年)の今日、前年に東北地方で発生した一揆を扇動した嫌疑で伊達政宗が豊臣秀吉に召喚されました。上洛にあたり政宗は家臣に白装束を着させたうえ黄金の十字架を担がせました。政宗は秀吉が出した私戦を禁じる法令にも従わず、小田原征伐にも遅参。

2月18日は何があった日?

1559年(永禄2年)の今日、少弐冬尚が龍造寺隆信との戦いに破れ、自害しました。 少弐氏は代々、大宰府の次官である『大宰少弐」を務め、最盛期には筑前、豊前、肥前、壱岐、対馬など5カ国の守護として九州北部を支配した一族。冬尚は大名家として少弐氏の最後の当主に。

2月8日は何があった日?

1567年(永禄9年)の今日、松平家康が徳川姓を朝廷から許され「徳川家康」に改名。 家康は武家の血筋として高貴とされた源氏の血筋である新田氏系得川氏の末裔を称しました。これに嘉字を用いて「徳川」に。現在まで得川氏と家康の家系との同一性は実証できておらず。

12月29日は何があった日?

1535年(天文4) の今日、18歳で三河を武力掌握した戦国大名であり、江戸幕府を開く徳川家康の祖父でもある松平清康が家臣に暗殺されました。享年25歳。清康殺害に用いた刀が「千子村正」と伝えられ、後に「村正」が徳川家に仇なす妖刀という伝説のきっかけになりました。

11月29日は何があった日?

1585年(天正13年)の今日、伊達政宗の父で戦国大名だった伊達輝宗が死去しました。二本松城主の畠山義継に誘拐されそうになった輝宗は国境付近に来ると救助しようと追って来た家臣たちに自分を撃つよう指示。家臣たちは一斉射撃を行い、輝宗と義継を含む二本松勢全員が死亡。

11月10日は何があった日?

1614年(慶長19年)の今日、真田信繁が豊臣軍の将として大坂城に入りました。徳川家康との決戦に臨む豊臣氏は江戸幕府に従う大名の加勢が期待できない為、関ヶ原の戦い後、浪人になった者たちを集めることに。九度山で隠居していた信繁には黄金200枚と銀30貫が。

9月23日は何があった日?

1543年(天文12年)の今日、種子島にポルトガル人を乗せた船が漂着しました。島の主・種子島時堯は船にあった火縄銃2挺を買い、家臣に火薬の調合を学ばせました。火縄銃の登場は戦国時代を大きく変えることに。織田信長はこの時9歳で、徳川家康はこの数か月前に生まれました。

9月22日は何があった日?

1579年(天正7年)の今日、織田軍に包囲された有岡城の城主・荒木村重が城を脱出しました。城に残された荒木一族、家臣らとその家族およそ670名が処刑されました。逃げた村重は信長が死ぬと堺に戻り、豊臣秀吉が覇権を握ってからは大坂で茶人として復帰したとか。

9月17日は何があった日?

1567年(永禄10年)の今日、織田信長が美濃の支配者だった斎藤龍興から奪った美濃国井之口の山城(稲葉山城)に居を移し、城や城下町の呼び名を『岐阜』に改めました。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになったとか。

blog: Blog2
bottom of page