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9月17日は何があった日?

1567年(永禄10年8月15日)の今日、織田信長が斎藤龍興から勝ち取った稲葉山城を織田家の新たな本拠地としました。それまで「井口」と呼ばれていた城下を「この地から天下布武を行う」という意味を込めて「岐阜」に改名。城は「岐阜城」と呼ばれるようになりました。

9月13日は何があった日?

1507年(永正4年8月7日)の今日、越後守護代の長尾為景が同国守護の上杉房能を急襲しました。房能は逃亡中に自害。為景は房能の養子である上杉定実を守護に擁立しました。定実を傀儡として為景は越後の実権を握り、息子の景虎(後の上杉謙信・画像)へと引き継がれます。

8月30日は何があった日?

1619年(元和5年7月21日)の今日、薩摩を支配した島津氏第17代当主・島津義弘が死去しました。九州統一戦争や朝鮮半島での戦い、そして関ヶ原での「島津の退き口」と幾度も死線を乗り越えながら享年85。驚くほど長生きでした。隠居後は若者たちの教育に力を注いだとのこと。

8月15日は何があった日?

1534年の今日、 バスク地方出身の修道士イグナチオ・デ・ロヨラ他7名によって『イエズス会』が結成されました。 この15年後の同じ日、創設者の一人であるフランシスコ・ザビエル一行が鹿児島に上陸。日本でのキリスト教の布教が始まりました。

7月17日は何があった日?

1488年(長享2年6月9日) の今日、加賀一向一揆により加賀国の守護・富樫政親が殺害されました。以後1580年に織田信長に敗れるまでの90年間、農民による自治国家となった加賀国は「百姓の持ちたる国」と呼ばれました。

5月13日は何があった日?

1573年(天正元年4月12日) の今日、尾張に遠征中だった武田信玄が死去しました。浜松で徳川と織田の連合軍を蹴散らした武田軍は尾張の侵略を開始しようとした矢先、信玄が病に倒れました。武田軍は西進を取り止め領地に撤退。その途上、信玄は死去しました。

4月19日は何があった日?

1577年(天正5年12月18日)の今日、上杉謙信が死去。春日山城内の厠で倒れ昏睡状態に陥り意識が回復しないまま死亡しました。死因は脳溢血とされています。奇妙なことに、この翌年の同じ日、後継者候補だった上杉景虎が死亡し、45年後の同じ日、家督を継いだ上杉景勝が死去。

11月23日は何があった日?

1555年(弘治元年閏10月10日)の今日、今川氏家臣であり臨済宗の禅僧だった太原雪斎が死去しました。享年60。跡目騒動に勝利し今川義元(画像)を今川家当主に。今川家全盛期を築いたうえ甲相駿三国同盟の締結を実現。彼の死が今川家衰退の始まりという見方もあります。

10月21日は何があった日?

1571年(元亀2年10月3日)の今日、相模国の戦国大名で後北条氏第3代当主である北条氏康が死去しました。享年57。 氏康は晩年「上杉謙信との同盟を破棄して武田信玄と再び同盟を結ぶように」と遺言した、という説があり、実際に氏康の死後、北条は武田と再同盟しました。

10月19日は何があった日?

1570年(元亀元年9月20日)の今日、織田氏の家臣で美濃金山城主だった森可成(画像)が浅井・朝倉連合軍との戦闘で討死しました。死後、信長は功労者である森可成の息子を取り立てました。その息子が「鬼武蔵」こと森長可や「蘭丸」こと森成利など。

10月18日は何があった日?

1561年(永禄4年)の今日、武田信玄と上杉謙信の軍が八幡原において戦闘を開始しました。数度にわたって行われた「川中島の戦い」の中で唯一大規模な戦いになったこの「八幡原の戦い」。武田家の副将である武田信繁や山本勘助など多くの名将が討死しました。

8月22日は何があった日?

1563年(永禄6年8月4日)の今日、安芸毛利氏の当主・毛利隆元(画像)が急死しました。当主を引退した後も実権を握っていた父・毛利元就は家督を隆元の嫡男・幸鶴丸(後の毛利輝元)に継がせ、自分の死後は輝元の補佐を次男の吉川元春と三男の小早川隆景に託しました。

8月10日は何があった日?

1564年(永禄7年7月4日)の今日、「日本の副王」と呼ばれた戦国大名・三好長慶が死去しました。享年43。 元は管領家の細川氏の有力家臣でしたが細川政権を事実上崩壊させ三好政権を樹立。細川氏が支配していた領地を継承して三好氏の勢力を畿内の大部分にまで広げました。

3月27日は何があった日?

1581年(天正9年2月23日) の今日、イエズス会巡察使アレッサンドロ・ヴァリニャーノが織田信長に謁見しました。 信長はヴァリニャーノの従者だったアフリカ人(と思われる)男性を家臣にし「弥助」と名付けました。弥助は本能寺の変の際、信長の首を持ち出した、という説も。

3月10日は何があった日?

1559年(永禄2年2月2日)の今日、織田信長が約500名の軍勢を引き連れて上洛。室町幕府の13代将軍・足利義輝(画像)に謁見しました。 上洛の目的は尾張の統治者として幕府に認めてもらうこと、または足利将軍家を頂点とする武家秩序の実態をその目で確認するためだったとか。

2月18日は何があった日?

1559年(永禄2年1月11日) の今日、少弐冬尚が龍造寺隆信に破れ自害。少弐氏が滅亡しました。 大宰府の次官・大宰少弐に任命されたことから始まり、鎌倉時代には北部九州最大の守護に成長した少弐氏。龍造寺に敗れる以前にも大内氏に攻められて、すでに二度滅亡しています。

11月3日は何があった日?

1577年(天正5年9月23日)の今日、加賀国(現在の石川県南部)の手取川付近で上杉謙信軍が柴田勝家率いる織田軍に大勝しました。手取川の戦い。 この大勝で武田信玄の死後、劣勢に立たされていた「信長包囲網」の勢いは謙信が死ぬまで一時的に盛り返しました。

8月20日は何があった日?

1578年(天正5年7月17日)の今日、尼子氏の家臣・山中幸盛(通称は鹿介)が敵対する毛利輝元に降伏後、毛利の陣に連行中、毛利家の家臣によって謀殺されました。享年34。 幸盛は「尼子三傑の一人」「山陰の麒麟児」などの異名を取る優れた武勇の持ち主として知られています。...

6月8日は何があった日?

1571年(元亀2年5月16日)の今日、織田信長が自ら5万の兵を率いて一向一揆が拠点にする伊勢長島を攻撃。軍を退いたところを奇襲を受け織田軍の将・氏家卜全ら多くの戦死者を出して敗退しました。織田軍は長島の一向一揆を三度攻め、多くの犠牲者を出しながらも勝利します。...

2月26日は何があった日?

1550年(天文19年2月10日)の今日、豊後国の戦国大名である大友氏の後継者争いで、大友義鎮(宗麟・画像)を支持する家臣が現当主である大友義鑑の居館を襲撃しました。「二階崩れの変」と呼ばれるこの騒動で後継者の塩市丸と母、妹は即死。義鑑は2日後に死亡しました。

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