
新歴史観ブックス
2022年11月28日読了時間: 1分
11月28日は何があった日?
1821年の今日、パナマがスペインから独立し『大コロンビア』に加入しました。正式名称は『コロンビア共和国』。その領域はスペインから独立した南米諸国で現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマの全域と、ガイアナ、ブラジル、ペルーの一部と広大なものでした。

1821年の今日、パナマがスペインから独立し『大コロンビア』に加入しました。正式名称は『コロンビア共和国』。その領域はスペインから独立した南米諸国で現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマの全域と、ガイアナ、ブラジル、ペルーの一部と広大なものでした。

1577年(天正5年)の今日、松永久秀が死去しました。享年68歳。主君である信長に反旗を翻した久秀に信長は10万の軍勢を送り込み彼の居城を包囲。久秀は天下の名器とされた茶釜『平蜘蛛』を叩き割り天守に火をかけて自害しました。茶釜と共に爆死したのは創作です。

1567年(永禄10年)の今日、松永久秀と三好義継の軍が三好三人衆が陣取る東大寺を急襲。結果、東大寺の大仏を含めた堂宇が消失しました。この戦いに勝利した松永・三好連合軍は大和での実権が拡大しました。大仏が修繕されるのは1705年頃。

1860年の今日、米大統領選挙で共和党のエイブラハム・リンカーンが当選しました。同時に南部9州が連邦離脱を宣言。この『分断』が南北戦争へと。選挙戦の最中あごひげを生やしたリンカーン。その理由は少女からの手紙に書かれた助言に従ったからだとか。画像は記念の銅像。

1517年(永正14年)の今日、安芸武田家の当主で自ら兵を率いた武田元繁が毛利・吉川連合軍との合戦で討ち死にしました。智勇に優れ中国の項羽と並ぶ武勇の持ち主と恐れられた元繁でしたが、まだ毛利家の当主の後見役という立場だった毛利元就(画像)の用兵に敗れました。

1538年(天文7年)の今日、下総国国府台で小田原の北条氏綱と戦っていた小弓公方・足利義明が討ち死にしました。次第に劣勢となる中、弟の基頼、嫡男の義純が討ち死にした報を耳にした義明は憤怒して氏綱軍に突撃。小弓公方は次男の頼純に引き継がれ後の喜連川藩へと。

1775年の今日、英国王ジョージ3世が北米植民地が反乱状態にあると宣言。鎮圧のための武力行動を容認しました。アメリカ独立戦争が勃発。北アメリカ東部沿岸のイギリス領13植民地はバージニア市民軍の大佐だったジョージ・ワシントンを大陸軍の総司令官に任命しました。

1600年(慶長5年)の今日、関ヶ原において徳川家康率いる東軍が毛利輝元を総大将とする西軍に勝利しました。豊臣氏は政権の地位を失い、勝者として強大な権力を手に入れた家康はこの3年後、『源氏長者』と『征夷大将軍』を地位を獲得し江戸幕府が開かれました。

紀元前202年の今日、大スキピオ率いるローマ軍がハンニバル率いるカルタゴ軍を破り「第二次ポエニ戦争」が終結しました。ザマの戦い。戦いに敗れたカルタゴは侵略していたイタリア半島を含む全ての海外植民地と制海権を失いました。

1931年(昭和6年)の今日、超国家主義的な秘密結社『桜会』が軍事クーデターを計画している事実が発覚。関係者が一斉に拘禁されました。反乱未遂だったにも関わらず橋本欣五郎(画像)ら首謀者は謹慎後に左遷という軽い処分で済みました。ただし桜会は事実上の解体に。

1189年(文治5年)の今日、源義経を自害に追い込んだ奥州藤原氏第4代当主の藤原泰衡が鎌倉軍から逃げている途中、郎党の河田次郎に裏切られ殺害されました。源頼朝は生首になった泰衡の眉間に八寸の鉄釘を打ち付けて柱に懸けさせました。裏切った次郎も斬首に。

1600年(慶長5年)の今日、東軍(徳川派)の大名・京極高次(画像)の居城である大津城を立花宗茂ら1万5千の西軍が攻撃しました。大津城の戦い。大津城の陥落は関ヶ原での本戦の当日。立花宗茂ら1万5千は本戦に参加できずに西軍は敗北。大津城を落城させた戦果は無意味に。

1780年の今日、大西洋沖に「グレートハリケーン」が発生しました。ハリケーンは六日間かけてカリブ海の小アンティル諸島のマルティニーク島、シント・ユースタティウス島、バルバドス島などに約2万2千人が死亡する壊滅的な被害を与えました。

1967年の今日、コンゴ民主共和国政府軍によって拘束されていた「チェ・ゲバラ」ことエルネスト・ゲバラがボリビアの山中で射殺されました。一度撃ち損じた兵士に向けてゲバラが言った最期の言葉「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て。臆病者め」

1579年(天正6年)の今日、織田信長の次男である織田信雄が伊賀に侵攻するも同地を支配していた伊賀国人衆に敗退しました。第一次天正伊賀の乱。父に相談せずに侵攻した信雄。無断行動と敗戦の報せに激怒した信長は彼に「親子の縁を切る」と書いた手紙を送ったとか。

1954年(昭和29年)の今日、吉田茂内閣が『コロンボ・プラン』に参加することを閣議決定しました。アジア及び太平洋にある発展途上国への開発援助を目的とした国際機関。これによりODAを開始した日本は戦後九年で「援助される国」から「援助する国」へと転換しました。

1945年(昭和20年)の今日、ダグラス・マッカーサー元帥が昭和天皇と会見しました。戦争責任が自分にあると認めた天皇の発言を受け、マッカーサーは天皇を「戦争犯罪人」として起訴しないようアメリカの検察官に命じたとか。会見は1951年までに11回行われました。

1983年の今日、ソ連防空軍の戦略ロケット軍の中佐だったスタニスラフ・ペトロフが監視衛星が発したミサイル攻撃警報を「誤警報」だと断定しました。レーダーが誤作動。もし彼がこの警報を事実だと判断していればソ連はアメリカに対し報復として核を発射していました。

1338年(建武5年/延元3年)の今日、足利尊氏が北朝から征夷大将軍に任ぜられました。 足利幕府が発足した当初は弟の足利直義が事実上の指導者として実権を握りましたが側近の高師直と直義との間で武力闘争が起こり、二人が死んだことで尊氏自ら政治の指揮を取りました。

1941年(昭和16年)の今日、日本の内閣情報局の指示で映画制作会社10社が松竹・東宝・大映の3社に統合。内閣情報局は戦争に向けた世論誘導や思想取締の強化を目的に設置された内閣直属の情報機関で、戦時統制の一環として様々な分野の小規模企業の整理統合を進めました。