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9月20日は何があった日?

1498年(明応7年8月25日)の今日、鎌倉大仏の大仏殿が明応地震(南海トラフ巨大地震)で発生した8メートル以上の津波に流されました。最大震度は6。M8.2- 8.4。地震の揺れは会津から京都まで広範囲に渡り、東海道一帯が大きな津波に襲われました。

9月13日は何があった日?

1507年(永正4年8月7日)の今日、越後長尾氏7代当主で越後国の守護代でもある長尾為景が同国の守護・上杉房能を急襲しました。逃亡中に房能は自害すると養子の上杉定実を傀儡の守護として擁立した為景が越後の実権を握りました。為景は長尾景虎(上杉謙信)の実父です。

8月16日は何があった日?

1443年(嘉吉3年7月21日)の今日、室町幕府7代征夷大将軍・足利義勝が9歳という若さで死去しました。先代将軍で恐怖政治を敷いた父の足利義教が暗殺された為、幼くして将軍になった義勝ですが在任期間はわずか8ヶ月。死因は落馬、暗殺など諸説ありますが、赤痢が有力だとか。

8月15日は何があった日?

1573年(天正元年7月18日)の今日、宇治・槇島城に籠城していた足利義昭が織田信長に降伏し京から追放されました。室町幕府は事実上滅亡したものの義昭は征夷大将軍を解任されることなく、毛利家の支配地である現在の広島県にあった鞆の浦に亡命し「鞆幕府」を樹立しました。

7月6日は何があった日?

1579年(天正7年6月13日)の今日、織田家の竹中重治(半兵衛)が死去しました。享年36。一般的に羽柴秀吉の家臣として認知されている半兵衛ですが一次資料には秀吉の正式な家臣であるという記述は無く、彼は織田家の直臣であり羽柴軍には与力として加わっていたようです。

4月18日は何があった日?

1429年(正長2年)の今日、足利義教が朝廷より将軍宣下を下され、室町幕府の第6代征夷大将軍に就任しました。公卿、神官、僧侶などを中心に多くの者を処罰したことで恐怖政治を敷いた悪人として評価されてきた義教ですが、近年ではその各種政策が先進的なものだとする声も。

4月8日は何があった日?

1551年(天文20年)の今日、弾正忠家の当主である織田信秀が死去しました。享年42歳。嫡男である信長が家督を継承。信秀は弾正忠家を大和守家下の庶流という低い地位から尾張国を代表する武家にまで成長させました。その基盤を最大限利用した信長は「天下人」と呼ばれる戦国大名へと。

4月7日は何があった日?

1378年(天授4年/永和4年)の今日、足利第三代将軍である足利義満が京都室町通りに将軍の御所を移転しました。これが足利将軍家の樹立した幕府が「室町幕府」と呼ばれた由来。ちなみに、武家政権の名前として「幕府」という用語が使われるようになったのは江戸時代中期から。

2月26日は何があった日?

1550年(天文19年)の今日、豊後を支配する大友家で当主の大友義鑑と側室の母子が襲撃され、母子は即死、義鑑も2日後に死亡しました。二階崩れの変。正室の子の義鎮(画像)を廃嫡し側室の子を後継者にしたい大友義鑑が義鎮を支持する重臣を次々に誅殺したことで起きた事件。

2月8日は何があった日?

1567年(永禄9年)の今日、松平家康が徳川姓を名乗ることを朝廷から許され「徳川家康」に改名しました。「徳川氏」の本来の漢字は「得川氏」。清和源氏新田氏の一族で新田荘得川郷(現在の群馬県太田市徳川町)を本貫にしました。家康は「得川氏」の末裔を称しました。

1月28日は何があった日?

1549年(天文17年)の今日、長尾景虎(後の上杉謙信)が家督を継ぎ春日山城に入城しました。後世「越後の龍」などと呼ばれ戦上手として知られる景虎ですが、15歳の元服したばかりの時には、若い景虎を侮り反乱を起こした越後の豪族に対して見事な戦術で打ち負かしました。

1月25日は何があった日?

1573年(元亀3年)の今日、遠江国の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市内)で武田信玄と徳川家康の軍が戦い、武田軍が勝利しました。武田軍の死傷者およそ200人に対し徳川軍は重臣を含めて2,000人もの兵士を失いましたが、本多忠勝などの奮戦により家康は辛うじて死を免れました。

1月19日は何があった日?

1911年(明治44年)の今日、読売新聞が社説で国定教科書に記述された「南北朝並立」を批判。南北どちらの皇統が正当かをめぐり帝国議会で論争に発展。最終的には『大日本史』の記述を根拠に明治天皇が三種の神器を所有した後醍醐天皇(画像)の開いた南朝を正統として認定。

1月11日は何があった日?

1547年(天文15年)の今日、足利義藤(後の義輝)が近江坂本の地で第13代征夷大将軍に就任しました。わずか11歳で元服と同時に将軍となった義藤。宣教師ルイス・フロイスは『日本史』の中で彼のことを「とても武勇すぐれて、勇気ある人だった」と評価しています。

12月29日は何があった日?

1535年(天文4年)の今日、織田信秀が支配する尾張に侵攻した松平清康が野営中に家臣によって暗殺されました。享年25。徳川家康の祖父である清康は岡崎を征服し一族と重臣を掌握、西三河を支配しました。暗殺時に使われた刀が「千子村正」とされ「妖刀村正」伝説の由来に。

12月28日は何があった日?

1367年(正平22年/貞治6年)の今日、室町幕府第2代将軍だった足利義詮が死去しました。享年38歳。『太平記』では愚鈍な人物として描かれていますが実際には内政や軍略で功績を残し、文人としても連歌や和歌を多く残ります。性交で腎虚になったことが若死の原因とも。

11月9日は何があった日?

1567年(永禄10年)の今日、松永久秀と三好義継の軍が三好三人衆が陣取る東大寺を急襲。結果、東大寺の大仏を含めた堂宇が消失しました。この戦いに勝利した松永・三好連合軍は大和での実権が拡大しました。大仏が修繕されるのは1705年頃。

11月5日は何があった日?

1517年(永正14年)の今日、安芸武田家の当主で自ら兵を率いた武田元繁が毛利・吉川連合軍との合戦で討ち死にしました。智勇に優れ中国の項羽と並ぶ武勇の持ち主と恐れられた元繁でしたが、まだ毛利家の当主の後見役という立場だった毛利元就(画像)の用兵に敗れました。

10月29日は何があった日?

1538年(天文7年)の今日、下総国国府台で小田原の北条氏綱と戦っていた小弓公方・足利義明が討ち死にしました。次第に劣勢となる中、弟の基頼、嫡男の義純が討ち死にした報を耳にした義明は憤怒して氏綱軍に突撃。小弓公方は次男の頼純に引き継がれ後の喜連川藩へと。

10月20日は何があった日?

1351年(観応2年)の今日、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の僧・夢窓疎石が入滅しました。後醍醐天皇から尊崇され「夢窓国師」の国師号を下賜されました。以降、入滅後も含めると計7度も国師号を授与され「七朝帝師」と称えられました。

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