
新歴史観ブックス
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7月25日は何があった日?
1139年の今日、 ポルトガル軍(キリスト教)と当時イベリア半島一帯を支配していたムラービト朝(イスラム教)が激突。数の上で劣っていたポルトガル軍ですが、5人のモーロ人の王を討ち大勝。ポルトガルの国旗にある5つの青い盾はこの5人の王への勝利を表しているとか。

1139年の今日、 ポルトガル軍(キリスト教)と当時イベリア半島一帯を支配していたムラービト朝(イスラム教)が激突。数の上で劣っていたポルトガル軍ですが、5人のモーロ人の王を討ち大勝。ポルトガルの国旗にある5つの青い盾はこの5人の王への勝利を表しているとか。

64年の今日、古代都市ローマで大火災が起こりました。ローマ市14区のうち10区が炎上。3区は灰燼に帰し7区は倒壊した家の残骸をわずかに留める程度。当時の皇帝ネロは火災の原因をキリスト教徒にあるとして厳しい弾圧を始めました。

1488年(長享2年6月9日) の今日、加賀一向一揆により加賀国の守護・富樫政親が殺害されました。以後1580年に織田信長に敗れるまでの90年間、農民による自治国家となった加賀国は「百姓の持ちたる国」と呼ばれました。

1925年の今日、インドの霊的指導者メヘル・バーバー(画像)が『沈黙』を開始しました。1969年に亡くなるまでの44年間彼はそれを守りました。彼の信者の多くは沈黙を守って沈黙を祝福し続けているそうです。

686年(天武天皇15年6月10日)の今日、天武天皇の病を占ったところ草薙剣(別名:天叢雲剣)の祟りと出たため、その日に熱田社に送り置きました。八咫鏡、八尺瓊勾玉と共に三種の神器(画像はイメージ)の一つである草薙剣は天皇の持つ武力の象徴とされています。

1525年の今日、ドイツの神学者マルティン・ルターがローマ・カトリック教会が聖職者や修道女に課した独身主義に反して元修道女のカタリナ(画像)と結婚しました。ルターとの間には三男三女が生まれ、家庭円満だったそうです。

1989年の今日、アリー・ハーメネイーがイランの第2代最高指導者に就任しました。イランの最高指導者の中で最も長い記録となる36年と8カ月にわたってイランを統治。2026年2月28日のイスラエル軍の空爆により死亡しました。

1763年(宝暦13年4月10日) の今日、曹洞宗の僧・禅海が現在の大分県にある耶馬渓に30年以上かけて手掘りした『青の洞門』が開通しました。歌川広重の『六十余州名所図会』には豊前国の名所として描かれています。

1983年の今日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(画像)が自然哲学者ガリレオ・ガリレイに対する宗教裁判が「誤りだった」ことを認めました。また教皇は異端者として火刑に処されたプロテスタントの先駆者ヤン・フスに対する名誉回復についても発表しました。

1921年(大正10年)の今日、クリスチャンの思想家・羽仁もと子と羽仁吉一夫妻(画像)によって『自由学園』が創立されました。 羽仁もと子は日本の女性ジャーナリストとしては先駆け。『婦人之友社』の創立者でもあり、家計簿の考案者としても知られています。

1598年の今日、フランス国王アンリ4世が「ナントの勅令」を発布。プロテスタントにカトリックと同等の信教の自由を認めました。40年近くにわたる宗教戦争を終結させ、戦争によって疲弊した国家の再建に尽力しましたが狂信的なカトリック信者によって暗殺されました。

1980年の今日、エルサルバドルのカトリック司祭オスカル・ロメロがミサの最中に狙撃を受けて死亡しました。エルサルバドル内戦の犠牲者を代表して世界に訴え続けた司祭の死はエルサルバドルの国民に衝撃を与え人権改革を求める国際的な運動に発展しました。

1585年(天正13年2月22日) の今日、天正遣欧少年使節がローマ教皇グレゴリウス13世に公式に謁見しました。この時はグレゴリウス13世の治世最晩年の時期で教皇は翌月の4月10日に82歳でこの世を去りました。

1207年(承元元年2月18日) の今日、後鳥羽上皇が熊野詣に行って留守の間に宮中の数人の女官が浄土宗の門弟と共に出家しました。帰京した後鳥羽上皇は激怒。浄土宗の門弟4人が死罪。浄土宗の開祖・法然(画像)と親鸞たち門弟7人が流罪になりました。

1455年の今日、ドイツ出身の腕利きの金細工職人グーテンベルク(画像)が聖書の印刷を開始しました。商業的には成功しなかったものの、グーテンベルクが発明した活版印刷技術は急速に普及。ニュースや書籍の流通速度を劇的に速めました。

9年の今日、イランの最高指導者アーヤトッラー・ホメイニーが『悪魔の詩』の著者サルマン・ラシュディ(画像)と発行に関わった者などに死刑を宣告しました。 以後、ラシュディ暗殺未遂が何度も起こり日本人翻訳者をはじめ多くの関係者が殺害されました。

985年(永観3年1月3日) の今日、第18代天台座主だった良源が没しました。 比叡山延暦寺の中興の祖とされる良源は小規模な堂だった根本中堂を壮大な堂として作り直し比叡山の伽藍の基礎を造りました。その他、『おみくじ』の創始者とも言われています。

1165年(長寛2年12月17日)の今日、蓮華王院(三十三間堂)が完成しました。 後白河上皇が離宮の敷地内に寺院を建立しようとしたところ平清盛が協力し完成。創建当時は五重塔があり朱塗りの外装で内装も極彩色でしたが1249年の大火で焼失後、三十三間堂のみが再建されました。

1506年の今日、バチカン市国とローマ教皇を警護する衛兵として初めてスイス傭兵150人がローマ教皇領に到着しました。1527年のローマ劫掠の際には189人のスイス衛兵のうち147人が戦死。現存する国軍としては創設時期が最古の軍です。

1095年の今日、クレルモン教会会議の最終日に教皇ウルバヌス2世がキリスト教の聖地エルサレムの回復のために軍隊の派遣を宣言しました。この軍が以後長く続くことになる『十字軍』の第一回。ウルバヌス2世は十字軍によるエルサレム占領の14日後にこの世を去りました。