
新歴史観ブックス
2022年12月19日読了時間: 1分
12月19日は何があった日?
1983年の今日、FIFAワールドカップで3回目の優勝を果たしたブラジルサッカー連盟に永久譲渡されていたFIFAワールドカップトロフィー(初代)が盗難されました。容疑者は逮捕されたもののトロフィーは現在も見つかっておらず現在ブラジルに保管されているのはレプリカです。

1983年の今日、FIFAワールドカップで3回目の優勝を果たしたブラジルサッカー連盟に永久譲渡されていたFIFAワールドカップトロフィー(初代)が盗難されました。容疑者は逮捕されたもののトロフィーは現在も見つかっておらず現在ブラジルに保管されているのはレプリカです。

1821年の今日、パナマがスペインから独立し『大コロンビア』に加入しました。正式名称は『コロンビア共和国』。その領域はスペインから独立した南米諸国で現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマの全域と、ガイアナ、ブラジル、ペルーの一部と広大なものでした。

1967年の今日、コンゴ民主共和国政府軍によって拘束されていた「チェ・ゲバラ」ことエルネスト・ゲバラがボリビアの山中で射殺されました。一度撃ち損じた兵士に向けてゲバラが言った最期の言葉「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て。臆病者め」

1836年の今日、後に『進化論』発表したチャールズ・ダーウィンがビーグル号による5年間の世界一周航海から帰国しました。ダーウィンがガラパゴス諸島から持ち帰ったとされるガラパゴスゾウガメは175歳まで生き、2006年に死去したそうです。

1859年の今日、アメリカ在住のイギリス人ジョシュア・ノートンが自身をメキシコ合衆国の皇帝「ノートン1世」であると宣言し帝位請求を行いました。真剣に受け取る者は少なかったものの、温和な人柄は多くの人から敬愛され、彼の葬儀には約3万人の群集が詰めかけたとか。

1973年の今日、チリでクーデターが発生しアジェンデ大統領の人民連合政権が倒されました。反乱を起こさせたのは米国、米多国籍企業、シカゴ学派経済学者。アジェンデ政権は世界で初めて自由選挙で合法的に生まれた社会主義政権で、南アメリカで「9・11」と言えばこの事件。

1622年(元和8年)の今日、支倉常長が死去しました。使節団を率いてヨーロッパまで渡航し有色人種として唯一無二のローマ貴族になった常長の渡航の目的は表向き海外との通商とされていましたが、実はエスパーニャとの軍事同盟を結ぶ為。伊達政宗は倒幕を目論んでいました。

1930年の今日、ウルグアイ・モンテビデオで第1回サッカーワールドカップの決勝が行われ、ウルグアイが優勝しました。第1回大会は以後の大会と違い地区予選は行われず全て招待されての参加。船での長旅や不況を理由に日本も含めて多くの国が出場を辞退し結果13チームが出場。

1822年の今日、メキシコ独立革命の指導者アグスティン・デ・イトゥルビデが(第一次)メキシコ帝国の皇帝として戴冠しました。メキシコ独立戦争が勃発した際、彼は独立軍を鎮圧するスペイン軍の司令官として活躍。次第に独立側に同情するようになったと言われています。

1959年の今日、革命軍指導者フィデル・カストロがキューバ共和国の首相に就任しました。米国の傀儡政権になっていたバティスタ政権を武力で倒しキューバを社会主義国家に変えた人物。政界から引退するまで638回の暗殺を計画されながらも90歳まで生き、病没しました。

1910年の今日、革命家フランシスコ・マデロがポルフィリオ・ディアス大統領の大統領選での不正と当選無効を訴えて一斉蜂起を呼びかけました。マデロはこの翌年大統領に選ばれ、この日は「メキシコ革命」が始まった日としてメキシコで革命記念日として制定されています。

1835年の今日、メキシコ領テキサスの町ゴンザレスにて戦闘が始まりました。テキサス独立戦争の勃発。コアウイラ・イ・テハス州のうち「テハス」と呼ばれた地域がメキシコ合衆国からの分離独立を目指した戦い。結果、テハスはテキサス共和国として独立しました。

1521年の今日、アステカ文明の都テノチティトランがコルテス率いるスペイン軍によって制圧されました。最後の王クアウテモックは3ヶ月の攻防戦に耐えるも降伏。黄金の場所を聞き出す為コルテスは彼を拷問しました。都の跡地にできた町メキシコシティには彼の銅像があります。

1988年の今日、環境保護活動家シコ・メンデスが暗殺されました。ブラジルのゴム樹液採取者だったメンデスはアマゾンの熱帯雨林を保護する為、森林を伐採し牧草地に変えようとする大土地所有者らに対して反対運動を展開。暗殺者は大土地所有者が放った刺客でした。

1888年(明治21年)の今日、日本とメキシコが修好通商条約を締結しました。日本にとって初めての平等契約。当時、西欧諸国と不平等条約の改正交渉をする為に平等条約の実例を作る必要があった日本。外務大臣・陸奥宗光は駐米メキシコ公使と協議し、これを実現しました。

1533年の今日、フランシスコ・ピサロ一行がインカ帝国の首都クスコに入城し帝国を征服しました。母国スペインでピサロは英雄。一方、自らのルーツを「インカ人」だと考えているペルー人やインディオは「ピサロは先祖が築いたインカ文明を破壊した人物」と認識しているとか。

